イタリアへオリエンテーリングしに行ったらいろいろ最高だった【オリエンテーリング/イタリア遠征記】

 

はじめに

 昨年の9月に近所にお住まいだった粂家のふたりがイタリアに旅立ってしまった。近所に引っ越して来てくれてからはよく近所さんで集まってワイワイしたり、一緒の配車でオリエンテーリングに行って、気心知れたなかとして、いつも楽しく過ごさせていただいていたので(こちらの一方的なあれかも知れないが)、いなくなると聞いた時は、とても寂しい思いをしたのであった。家を引き払うタイミングでイタリアにいるうちに行きますよ~と軽い口約束をした。


 口だけになると良くないと思い、少し時間がたったタイミングで航空券を探していると、ちょうどゴールデンウィークにかぶるタイミングで、ミラノまで往復15万円ほどでいけるエバー航空の航空券を見つけることができ、これは行くしかない!ということでチケットを押さえた。もちろんタダ、観光に行くだけではつまらないので、オリエンテーリングの大会にも参加する予定とした。ちょうどそのタイミングで参加しにきたまえ、と門戸を開けてくれているような神タイミングで開催されるミドルのイタリア選手権に申し込んだ。


 現地の諸々はイタリア在住の粂家がだいぶ取り計らってくれて、まじ感謝、としか言えない。こんなに手配が楽な遠征はなかなかないのであった。


 どうやって会社を休むかなと悩んでいたのだが、2月に自身の転勤を伴う異動が決まり、引っ越すタイミングとぶち当たった。引越し関係は最短で済ませ、荷物だけをどうにか移動させて、ゴールデンウィークは全て余暇にできるように調整ができた。引越し云々…で堂々と休む口実ができてちょうど良かったまである。日本に帰ってからの諸々の面倒くさいことは忘れることにした。

 

 そんなこんなで、あっという間に時間は過ぎて、昨年のスイス遠征以来約1年ぶりのヨーロッパに向かったのである。


4月25日ー4月26日 イタリアへの移動日

 今回は成田空港から14時ごろに出発する飛行機に乗る予定である。エバー航空は台湾のキャリアで、一回台北でのトランジットとなる。帰りのトランジットは3時間ちょっとなのでちょうど良いのだが、行きは台北で6時間のトランジットでかなり時間がある。


 朝に、こちらもご近所の稲毛さんから託された荷物と一緒に荷物をパッキングし、成田空港へ。ゴールデンウィーク前だから混んでいるかなと思っていたが、混雑はさほどではなく、カウンターでのチェックインもスムースに進み、保安も時間は全くかからずに通過することができた。この前佐賀に行った際の羽田の保安のほうが100倍混んでいた。預け荷物が無事にミラノで受け取れることを願った。


 エバー航空のカラーである緑のボーイング787にのりこむ。機材は新しいので、かなり空間にも余裕があった。台北に行くのならLCCでも全然いいのだが、やっぱりキャリアの方がいいよなあ、と思った。

GW前だけど比較的空いてる成田空港
エバー航空のカラーである緑色の塗装を施されている


 4時間もしないフライトなのに台北行きの便でも機内食の提供があって驚いた。天丼かチキンライスが選択できたので、チキンライスを選択した。成田でカツ丼を食べていたので、流石に丼ものは手が伸びなかった。味はまあまあ美味しかった。スイーツがそこまで甘過ぎないのがポイント高い。機内食も食べ、あっという間に台北の桃園国際空港に到着した。

機内食のチキンライス。そこそこ美味しい。

 桃園国際空港は台湾のハブ空港で、規模がかなり大きい。6時間も時間があったので、一通り歩いて見つけた休憩スペースに落ち着いた。片付かなかった仕事をやっつけ、ようやくゴールデンウィークに突入した実感をもった。異動で仕事が手離れしたタイミングなので本当に自由である。


 23時ごろに登園からミラノに向かう前に、小腹が空いたので刀削麺を食べることに。香辛料が効いていて会社の近くにある町中華で食べられる刀削麺より格段に美味しかった。

フードコートのご飯でも美味しい。さすが台湾。

 噂ではエバー航空の長距離便は空いているという噂を聞いていたのだが、そんなことはなかった。ほぼ満席のようで、搭乗口はたくさんのイタリアへ向かう人たちで溢れていた。あまりイタリア系の人は見当たらず、どちらかというと台湾、日本人の姿が多くみられた印象である。機内は先ほどと同じく787の3列シートが3列という構成。横は少し狭く感じるが、足元のスペースもあるので、ゆとりはもてた。ミラノまではここから14時間のフライトである…。長い。


 機内食がすぐに提供され、時差のことを考えるとまだ寝ないほうが良かったのだが、寝落ちしてしまい、気がついたら5時間気絶していた。時差ぼけを直すのに今回は苦戦しそうだ。到着する2時間前くらいの2回目の機内食では中華粥を選択し、もうまもなくミラノのマルペンサ国際空港へ到着することになった。14時間のうち、半分は気を失っていたので、意外にも早く着いたなという感覚である。飛行機内の音を抑えるためにずっとノイズキャンセリング付きのイヤホンをつけていたこともかなり寝れた要因だったと思う。

2回目の機内食。米うまい

 時刻はイタリア時間の朝の7時ごろ、日本をたってから24時間程度もかかってイタリアはミラノのマルペンサ国際空港にたどり着くことができた。


 入国審査で間違って有人ゲートの方に並んでしまい、結構な時間を待たされた後に特に問題なくイタリアへ入国。荷物はすでに外に出ており、すぐに移動することができた。空港から外に出ると、かなり空気が冷たく感じられた。体感は大体10度程度だろうか?薄手のフリース1枚だと少し肌寒さを感じた。

マルペンサ空港をでたところ、寒い。

 今日は、粂家が居を構えるパドバまで移動する必要がある。ミラノマルペンサからは大体電車で3時間半程度の距離にある。まずは空港からミラノへ出る必要がある。交通はバスか電車の2種類があるが、今回は完全に好みの問題で電車を選択した。待つこと約30分ほどで、ミラノ中央駅行きの電車がやってきて乗り込んだ。空港から中央駅までは約1時間である。

マルペンサ空港駅。たくさんの旅行者たちで賑わう。

 電車の外の車窓を眺めると、日本では拝むことのできない街並みと広大な畑がのどかに広がっていた。海外に来たなという実感を湧く瞬間である。興味深く外を眺めること1時間でミラノ中央駅に到着した。


 ミラノ駅に降り立ってまず一言目に「なんだこれは…」という感想が漏れ出た。高いアーチ式の屋根に覆われた大きなホームに、入り口に見える歴史を感じさせる重厚な壁。そして新宿駅かと見間違えるようなたくさんの人の往来。北イタリアの中心地であるミラノの活気を吸った。ミラノからパドバまではイタリアの特急で行くことになる。乗り継ぎが発生するため、少し時間潰しで駅周辺を散策した。ミラノの観光の中心地は中央駅から少し離れた場所にあるので、帰国日前日に回すことになっている。なので駅舎近くのあたりを散策しようと思ったが、駅舎の外に出て足を止めてしまった。ミラノ中央駅の駅舎がすごかった。日本で言うと東京駅の門がまえをもっと偉大にしたような歴史的な建物に驚いた。1930年代にできたらしいが、この偉大さはゆう目なムッソリーニがファシスト党の権威を高めるためにそういった意匠にしたと言う背景があるそうで、自分はまんまとアジテートされてしまっていたのであった。大変反省しなければならない。

ミラノ中央駅

 駅を探索するだけでものすごく楽しく、ピッツェリア、バー、カフェやスーパーなどを回っているうちにあっという間に特急の乗車時刻となった。駅のプラットフォームで到着しているホームを探し(イタリアは駅のホームが決まっておらず、その場で変わるため、電光掲示板を確認しないといけない)、予約していたイタロに乗車をした。イタリアはフレッチャロッサという国鉄の特急とイタロと言う私鉄の特急が同じ線路を走っている。今回は安かったイタロをチョイスした。


 イタロはフェラーリの創業者が関わっているらしく、車体が真っ赤である。フェラーリらしい。座席は全席指定となっており、予約が必須である。普通車の席は上の収納棚が新幹線に比べると小さくて、でかい荷物は足元に置かざるを得ない。非常に窮屈だったが、それ以外の乗り心地などは満足であった。

フェラーリチックなイタロのカラーリング
足元がクソ狭い。新幹線見習ってほしい。

 外の景色を眺めると、途中のベローナを超えた先からは徐々に葡萄畑が目立ってきて、イタリアの名産であるワインとの出会いが近づいてきていることに胸の高鳴りを覚えた。今回は毎日ワインを飲む所存である。車窓から見える規模を見ていると、山梨のワイン畑が一体いくつ入ってしまうのか見当もつかなかった。


 ヴェローナ、ヴィツェンツァをすぎ、ようやくパドバに到着した。日本を出て約1日半の大移動であった。駅で迎えに来てくれたさほさんと合流することができた。約半年ぶりの再会だったが、そんなに離れている気はせず、1ヶ月ぶりだね、と言われてもそうですねと返してしまいそうな感覚だった。これからの楽しいイタリアの約1週間の生活の始まりであった。

 

 さて、今回の旅で訪れているパドヴァ周辺の情報を少しここでご紹介したい。パドヴァはヴェネツィアの西に位置する都市で、ヴェネト州の中心都市の一つである。ポー平原とヴェネツィアの象徴であるラグーン(潟)が地形の根幹になっており、地形が好きな人にとっては一度は訪れてみたい土地である。ヴェネト州はイタリアの中でも有数のワインの産地であり、ワインの生産量はイタリアでトップという州で、電車の車窓からは山梨が一体いくつ入るんだというくらいに広がる葡萄畑を眺めることができる(前述の通り)。パドヴァはヴェネト州の中でも歴史が非常に古い都市で、BC3世紀にはローマに次ぐ2番目に大きな都市として成立をしていた、イタリアの中でも有数の歴史のある都市である。1222年(日本でいうと鎌倉時代!)にはパドヴァ大学が創立され、ガリレオガリレイが教壇に立ったこともある由緒ある大学として、文化と学術の中心として栄えている街である。今回はこのパドヴァを拠点に北イタリアのヴェネト州を中心にオリエンテーリングと観光をして行く予定である。


 到着して、荷物を粂家に置かせていただき、時間もお昼過ぎであったので、さほさんリコメンドのピッツェリアとパドヴァ観光へ行くことになった。ミラノで薄々勘づいていたが、パドヴァも街並みが日本と違い過ぎていて感覚がおかしくなる。歴史的な建造物に見えてしまうような建物ばかりで、街並みすごいですね、というとさほさんはこれが当たり前だから特に写真撮らなくてもいいと思うよ、と言われた。感覚がもう日本人じゃないな…半年もすればそうなるんか、と感じた。


 地球の歩き方にも掲載されている歴史的なカフェであるというカフェペドロッキ(さほさん曰く、ミント入りのエスプレッソが有名らしい)を横目に、シニョーリ広場のすぐそばにあるピッツェリアに入った。一口にイタリアのピザ屋さんといっても、流儀が色々とあるようで、モチモチのパン生地のピザもあれば、薄いカリカリのピザもあるようで、多様性があるらしい。粂家では、もちもち派とカリカリは派で対立しているようで、今回はモチモチ派に属しているさほさんリコメンドのモチモチのピッツェリアだった。

 

 私は無類のトマト好きであるので、トマトベースのピザを注文すると、すぐにピザが提供された。前評判に違わぬもちもち感で、美味だった。イタリアの人たちはピザが提供されたら結構ナイフとフォークでピザを切り分けて食べるようだった。手で食べている人はほぼいなかった。

カフェペドロッキ
初のイタリアでのピッツァ。美味。

 美味しいピザでお腹を満たした後は、パドヴァの名所見学である。地球の歩き方にも星3つで激リコメンドされているサンタントニオ聖堂を目的地に街歩きを進める。初めてのイタリアの街並みに感嘆しながら、広場をすぎてサンタントニオ聖堂へ。確かにリコメンドされるだけあり、非常に壮大で大きい聖堂が待ち受けていた。「すごいですね」ということをさほさんに素直に伝えると、これよりももっと大きいのがミラノとかで見れるよ、最初がパドヴァで良かったね笑、ということを言われた。なるほど。もっとすごいのがごまんとあるのか…と自分の常識のしょぼさを実感した瞬間だった。


 聖堂の中も無料で見学することができたので、見学した。荘厳な雰囲気が漂う中で、自分のボキャブラリーでは表現しきれない空気の重さがあったように感じた。見学をしていると、結局装飾の方向性というのは、仏教の寺院とかとそんなに変わらないだな、と腑に落ちた。金色や細かいレリーフ、たくさんの聖像という、人間の信仰心をくすぐる、感じてしまう仕組みが用意されているのだな、これが信仰の源なのか、ということを勉強できた。



 そのあとはスーパーで買い出し。あまりのワインとチーズの安さに目ん玉が飛び出た。DOCGの等級(簡単に言えばワインの等級で、最も厳しい基準をクリアしたワイン)のプロセッコが日本で言えばイオン的なスーパーで5ユーロで売られていることに衝撃を覚えた。日本ならDOCGより一つ下がるDOCのプロセッコでも1500円弱はする。ワイン好きには最高の環境すぎる。


 一通りパドヴァ観光をして、夜にじゅんやと合流。夜は粂家で簡単な歓迎会をしていただき、早速美味しいワインで酔っ払って、時差ぼけも加わってあっという間に1日が終わった。明日からオリエンテーリングの2DAYSである。

4月27日 イタリアンカップスプリントとヴェネト料理

 イタリアの朝は遅い。いや正しくは粂家の朝は遅い、か。イタリアの5月は日が長く、日没がすでに9時前で、日が登るのは6時半くらいになっている。粂家は日が上がり切った頃から活動を始めている。流儀に合わせ、少し遅めの起床と朝食を決め、オリエンテーリング会場へ向かうために、まずはレンタカー屋へ向かった。


 レンタカーはヴェネツィア空港で借りていたため、少し移動が必要だった。電車でまずはメストレまで移動し、そこから先はバスで移動が必要だった。パドヴァからイタリアの地域鉄道(RとかRVと言われている、日本の日立の車両!)に乗り込むのだが、電車が日本並みの満員電車でびびった。みんなどうやらヴェネツィアに行くらしい。さすが世界的な観光名所である…。長距離輸送に特化したヨーロッパの車両と、大量輸送に特化した日本の車両、どちらも良し悪しがあるのであった。


 空港にたどり着き、レンタカー屋を探すのに苦労して、ようやくみつけ、車をレンタル。この辺りを全て粂家に手配いただいており、マジで感謝しかできない。ありがてえ。


 日本の交通ルールと違う、右側通行に不思議な感覚を覚え、途中のモールのイートインで美味しいパスタを食べつつ、本場のエスプレッソを初めて体験しつつ、オリエンテーリング会場のマニアゴというヴェネトの北東方向、ドロミテの手前の街に辿り着いた。辿り着いた時間がスタートの少し前で、あまり時間もなかったため、急いで準備を済ませて会場へ。街の中心の広場を会場にしている街中でのスプリントになっており、交通規制も特に設けずオリエンテーリングが街中でできるヨーロッパのおおらかさを強く感じた。安全は自身での確保である。会場の雰囲気でまず日本との違いを感じたのは、参加者層の違いである。日本より圧倒的に若年層が多いのである。おそらく、地域クラブに入っているであろう小学生~中学生の年代のオリエンティアが目立っていた。フィニッシュレーンをかける子供たちに向かってのクラブの人たちの声かけがすごかった。ベテランの参加者はむしろ日本の方が多いと思ったが、地域クラブとしての根付き方がしっかりしているのだと感じた。

会場の雰囲気

 さて、レースだがイタリアンカップというだけあり、かなりしっかりと難しかった。一見簡単そうに見えたのだが、細かいチョイスが多く、集中力が切れたところはしっかりとミスしていた。あと、自分があまり前向きなトレーニングをつめていない状況だったので、走れるわけもなく、ペース走程度のスピードで流すことが限界で、その点少し楽しみきれなかったかなということで残念だった。ただ、20分ほどの短い時間の質の高いスプリントを経験することができて満足だった。何より、イタリアの素朴な街の中を縦横無尽に走り回る経験をすることができて、ちょっと感動した。自分が絵本の中の世界を走っているような感覚になることができた。


 粂家はイタリアでミアーネという小さな街に拠点を構える地域クラブに現地で入っている。イタリアのオリエンテーリングをエンジョイするには、地域クラブに入ることが大事らしい。基本的に参加の申し込みは個人で行うのではなく、クラブで取りまとめて行う必要があるらしく、クラブとしてのまとまりが非常に大事で、運営も色々と大変なようであった。ミアーネのメンバーに自己紹介をした。ハイチュウをお土産で持ってきてと言われて持ってきていたのをご賞味いただくと、ハイチュウはイタリア人のお口に合うようで、大変好評をいただいた。(ほんとかどうか知らないが、ハイチュウやヨックモックのようなクッキー類が人気らしい)


 宿は、明日の会場からほど近い田舎町のリストランテと併設されているホテルだった。マニアゴから少しで到着し、チェックイン。ウェルカムドリンクがあるよ、ということで色々な飲み物を紹介していただいた中から、迷わずこの地域の特産であるプロセッコをチョイス。プロセッコは世界三大スパークリングワインの1つと言われるシャンパンに比べると比較的リーズナブルなスパークリングワインである。

 

 いただくと、本当に華やかな葡萄の風味が口の中に広がり、わざわざすごい長い時間をかけて日本からイタリアまでやってきてよかったぜ、疲れが口の中で全て溶けていくような心地よさが体を包んだ。日本でプロセッコを予習していくぜ、ということで何種類か事前に飲んでみていたのだが、その予習したプロセッコの味とはまた違っており、比較的甘みのあるテイストで、ワインの奥深さを感じた。ここら辺はビールと一緒だなと思った。

本場で初めてのむプロセッコ、ウェルカムドリンクで出てくるなんて・・・


 夕食の時間はイタリアは少し遅めである。お店自体も7時とか7時半から夜の部を開始する店も多く、宿に併設したリストランテも8時頃に来てねと言われたため、そこまで部屋で小休止をして、待ちに待った夕食へ。初めてのイタリアでの夜の外食である。


 昨年にスイスに行った際は、スイスのあまりの物価の高さで外で食べるという気が起きない世界線だったのだが、イタリアは日本とそこまで大きな差はない価格帯で店を選べば食事をすることができ、財布に非常に良心的なヨーロッパの国である。何より、ワインが店でも安い。ボトルの値段は日本の半分くらいで頼むことができる。高い店でも15ユーロくらいでボトルが頼めたので、感動した。日本にもワイン文化がもっと根付いてほしい。


 ヴェネトはとうもろこしの生産も盛んで、ヴェネトの名物であるとうもろこしを使ったポレンタという料理を初めて食べた。素朴な田舎料理という感じの優しい料理で、心が満たされた。他にもプロシュートやチーズ、ビゴーリという太麺のパスタを美味しくいただき、大変に満足することができた。美味しい食事が出てくることのありがたさである、

宿のすぐ隣で作ってるらしいワイン。うまい。ボトルなのに安い。
どの料理もすべからく美味しい。感動した。

 オリエンテーリングと美味しい食事に大満足して、オリエンテーリング遠征の1日目が終了した。明日はイタリアのオリエンテーリング選手権(ミドル)に挑戦する予定である。


28日 イタリア選手権に挑戦、バイオントダム

 イタリア選手権のテレインの旧地図を眺めていると、日本的にもありそうな、日光みたいなテレインなのではないかと想像をしていた。フラットな部分と川沿いの斜面の地形や、食性の感じが日本でもありそうな感じで、意外に対応できるのでは、と目算をしていた。昨日、スプリント会場でであったミアーネのクラブ員は、薮とフラットだからコンパスが大事だね!とアドバイスをくれた。旧図から得られる感覚としても、北欧テレインよりは初見でも対応できるのではないかと思っていた。


 今日の出走は10時半頃ということもあり、少し急ぎ気味で準備を進め宿を出立。それでも会場に到着したのが出走の30分前ということで、昨日よりも急ぎ目で準備を進めた。会場からスタートまでは600m程ということで、誘導の間はイタリアのクラブウェアに身を包んだ選手たちがごった返していた。大会の参加者の規模的にはみた感じ、日本選手権と同じくらいなのではないだろうか。イタリアのオリエンテーリングの中心はイタリアの北部らしい。確かにクラブの名前を見てみると、トレントやウディネ、ヴィツェンツァなどなど、北部の地名を冠するクラブ名が確かに多かった。南部のクラブはあまり見かけなかった。

二日目の会場雰囲気

 日本と同じく、3分前にスタートレーンへ。ここの流れはいつもと同じで、すんなりと入り込むことができる。スタートを切って、地図を見てみると、まず予想よりも薮が厳しくなさそうだ、という印象を持った。旧図はもう少し薮が濃い印象だった。ただ、コースも地形にも緩急があり、一筋縄では行かなそうだという印象をパッと持った。

イタリア選手権のコース(ME)

 序盤は平なエリアと川に削られた斜面のコントラストが激しいエリア。当たり前のように直進を外してミスをする。流れにうまく乗れない。斜面は昨日の夕方に降った雨の影響か、スリッピーで、ピン付きで走らなかったことを後悔するレベルで滑る。走行可能度は高かったが、やぶには富士を思い出すイバラがたくさんあり、痛かった。イバラは勘弁してほしい。


 序盤を終え、中盤手前の6から7のレッグ。日本の感覚では線路=通過不能、であったので、普通に川の方へ降りて、線路下を通過するルートをチョイスした。だがしかし、これはミスチョイスで、最速は線路を上で横切るルートチョイスらしい。レース後にISOMを確認したのだが、線路(ISOMの509)は、通過を禁止する場合はオリーブ(711)で囲う必要があるが、通過可能な場合は縁取りがされていないとのことらしい。初めて知った。ISOMゲームをやり込んでいる達人はわかることなのだろうか。イタリアのオリエンティアは結構線路を普通に爆走していたので、ヨーロッパでは常識なのかもしれないが、日本ではまずありえないので、カルチャーショックを受けた。


 7-8、10-11とチョイスのあるロングレッグで、うまくいいルートを選ぶことができず、ここから体力的にも厳しい感じになり、ここで大きなミスをしてしまった。最近、フォレストのオリエンテーリングレースにほとんど参加していないので、マップコンタクトの少なさや、各種の動作の手間取りを感じた。やはり練習が日頃から大事なのだなあと感じた。


 その後もペースは上げられず、エンジョイという感じでコースを回り切った。タイムは5.5kmのコースに対して72分というしょっぱいタイム。まあ、今の自分の実力を鑑みると、妥当としかいえないタイムである。まだまだ精進が必要だ。初めてのイタリアのオリエンテーリングの2日間は非常に楽しく(結果を求めてきていたら、なんの成果もあげられませんでした!となってしまう)経験することができたのであった。


 今回の大会の会場は、地元のカルチョクラブの拠点のフィールドのようで、カルチョクラブのお金を獲得するためなのか、クラブハウスが開放されており、ご飯や飲み物を提供していた。パスタが5ユーロだったり、結構お買い求めしやすい価格だったので、パスタを食べた。おいしかった。一番気になったのはもちろんワインで、グラスワインが1ユーロで売られていて、サイゼリヤと同じでは・・・と感じてしまった。繰り返しになるが、イタリアのワイン、最高である。

大会会場での飲食メニュー。豊富かつ良心的な価格設定。

 表彰式が14時から始まるよ、ということでアナウンスがされていたのだが、14時になっても始まる気配がしない。ここら辺の大会の進行は、日本が厳しすぎるのか知らないが、イタリアはだいぶおおらかであった。日本もやるところはしっかりしてんなと感じた。

 14時から、まずは選手権の表彰式が始まり、その後に年代別という流れで、全日本の表彰式と反対の流れになっていた。確かに、最後に選手権よりも頭に選手権の方がいい感じもするが、それも良し悪しがあることなので、どっちでもいいのかなという気もする。印象深かったのは、小学生や中学生年代のクラスの表彰式が非常に盛り上がっていたことである。クラブの大人たちが子供たちを盛り上げていて、クラブとしての結束を強く感じた。年代別の競技のアナウンスも実況の方が頑張って取り上げていて、その辺りは自分にも取り入れるべき視点だなと勉強することができた。

おおらかな空気感で開催されるイタリア選手権表彰式

 オリエンテーリング後、明日は1日車を利用して、ドロミテやプロセッコの丘といった、車がないと観光しないと生きにくい観光地に粂家と一緒に行くことなる。今日の宿は、そんなドロミテの南、前衛地に位置するベルーノの近くの農家が営むペンションになっている。会場からは山間の道を走って向かうことになる。


 まず最初にわがままを聞いてもらい、河川の網状流路が非常に有名な河川であるタリアメント川を見せていただくことに。タリアメント川は人工的な河川の改修があまりされていない河川として知られていて、中流域には非常に広大な網状流路が見られる。一度、その川の本来の姿を見てみたいと思い、テレイン近くのピンツァート橋へ(タリアメント川として紹介される写真として、よく撮られている写真たちはこの橋から撮影されている)。そこに着くと、いやびっくり、想像の5倍の川幅を持つ広大な河川のありのままを目にすることができた。土砂生成の盛んさと、その雄大さを身をもって実感した。自分の持っていた写真の知識が、自分の目で見た知識に変わっていくという、大学生時代以来の自身の成長というのだろうか、そのような感覚を持った。

タリアメント川

 ダムからは、宿のあるベルーノ方向へ。フリウリ=ヴェネツィア・ジュリアの州道251号線をひたすら西に進む。この州道は川の横をずっと走り続けているのだが、その川の美しさと周囲の山々の風景が本当に美しい。これがどこにでもあるのがイタリアの北部のようである。梓川と上高地の中をドライブしているような気分になれた。

車窓、すごいしか言えない感想。


 その州道の終わり近くに、バイオントダムというダムに関連することを勉強したことがあったり、ジロ・デ・イタリアを見ているような人であれば知っているだろう有名なダムがある。こちらもお願いして見物させてもらうことにした。


 バイオントダムは、世界の中で最悪のダム災害を起こしたということで知られているいわゆる「負の遺産」のダムである。バイオントダムは完成当時には堤体の高さが264mという、1960年の完成時には世界で最大の規模を持っていたダムである。同時期に完成した黒部ダムの堤高が186mであるので、いかにバイオントダムが大きいかわかるだろうか。


 なぜ負の遺産と言われているのかというと、1963年のダムの試験湛水(ダムを運用して問題なかを確認するための最終試験)の影響によって、周囲の斜面が地すべりを起こして、大量の土砂がダム湖に流入した結果、大津波のような現象が発生、その水が周辺や下流の集落を襲い、2000人以上の死者を出したという、非常に痛ましい事件が発生しているダムであるのだ。仕事柄、ダム関連の仕事にも関わっているので、やはりここは一度見てみたいスポットだった。


 まず、衝撃だったのがあまりの土砂のボリュームである。普通にここに土砂がありました、と言われても全く不思議には思わないだろう圧倒的な土砂量が目の前にあった。これが瞬く間に滑り落ちてしまったというと、そのシーンというのが、全く想像が自分の頭の中ですることができなかった。本当か、冗談だろ、といってしまいそうだが、これが現実である。また、いまだに背後の斜面が石灰岩質のためであると思うが、滑った時のままのような姿で残っており、その地滑りのあまりの広大さに言葉が出なかった。

目の前の巨大な土砂が、後ろに見える白い岩肌のあたりから一斉に地滑りした
バイオントダムの堤体

 ダムの展望地には、亡くなった人々への慰霊を込めたペナントやモニュメントが多く並び、また地域の方々による災害の紹介のためのツアーガイドを行なっており、気が引き締められたような空気を感じる観光地になっていた。

 自分自身は手を動かして調査を直接しているわけではないが、土木にかかるエンジニアの責任という意味を改めて感じさせられた。訪れて良かったスポットであった。日本人には全く馴染みのない観光地かもしれないが、土木業界に興味がある人は一度行くことをおすすめしたい。

今回のイタリア遠征の中でも印象深い訪問地となった

 バイオントダムを後にし、ベルーノのペンションに向かった。イタリアはアグリツーリズモと呼ばれる、農家が提供する民泊サービスが結構盛んで、例えばぶどう農家や酪農家、オリーブ農家などが民泊を提供して、その暮らしを近くでみてもらう(のんびり田舎で過ごしてもらう程度の感覚)といったようなサービスが存在している。今回も景色が最高!という理由で街中からは少し外れたアグリツーリズモを提供している農家の民泊をさほさんが抑えてくれていた。


 狭い道を進み、ペンションにつくと、おばちゃんが暖かく迎えてくれて、イタリアらしくエスプレッソをウェルカムドリンクとして提供してくれた。イタリアのエスプレッソは、喫茶店やメーカーによって提供している豆が違っていて、それぞれの好みのメーカーがイタリア人にはあるらしい。入り口などにメーカーの看板などが掲げてあって、それをみてこの店の豆はどこどこのだ、最高!みたいなことを考えるらしい。


 部屋に案内されると、部屋の窓からは素晴らしい景色を拝むことができた。ぶどう畑にベルーノの町並み、そして奥に見えるドロミテの山並み。息を呑むとは、まさにこういう光景なのかと思い浮かんだ。

ペンションからの景色に興奮する筆者

 夕食は本当ならこの民泊にも併設のレストランがあり、そこで食べれることができたらな、と思っていたが、今日は日曜日ということで休みだった。なので近くのおすすめのレストランをおばちゃんに聞いて、近くの町にあるホテルのレストランへいった。


 ホテルのレストランと聞くと高そうかなと身構えていたが、非常にリーズナブルで美味しい食事を取ることができた。まず、オレキエッテのパスタを初めて食べたのだが、めちゃくちゃ美味しかった。そしてドルチェ初体験として本場で食べる初めてのティラミス。そして何よりハウスワイン(しかもハウスなのにフリウリのフリウラーノ)が激安&めちゃうま。もう何から何まで感動した。紹介してくれたおばちゃんに感謝を捧げた。

激うまハウスワイン
この地域特産のベーコンを用いたキノコとのピッツァ
初本場のティラミス。最高。

 美味しい食事に満足し、オリエンテーリングの心地よい疲れが体を包んだことで、夜はすぐにぐっすりと深い眠りにつくことができた。明日はドロミテと念願のプロセッコの丘、ワイナリーツアーである。


29日 ドロミテドライブとプロセッコに感動

 朝起きて日の出してすぐくらいに、宿の外に出て散歩をした。昨日の宿からの光景を見て、朝ちょうど山肌に日が当たりそうだったので、その景色を見てみたいと思っていたのである。


 宿から歩いて少しのところの道にはワイン畑が広がっており、そこから見えた景色をみて全てが満たされた。イタリアの人からするとこの光景が日常なのかもしれないが、控えめにいってここよりはめちゃくちゃな都会からきた自分からすると、これが非日常。本当に新鮮だった。



 朝食はB&B形式のペンションだったので、宿で食べることができた。イタリア人の朝食はしょっぱいものを食べるのが邪道らしい。大体カプチーノにブリウォッシュという感じで、甘党の朝食をイタリアンは好むそうだ。確かに、出ているものは比較的に甘いものが多かった。例に漏れず、朝食は甘いパン屋ジャムにジュースとカプチーノという感じで、日本のホテルやペンションで出てくるような朝食とは違った趣で新鮮だった。宿のおばちゃんが、気を利かせてくれたのかオムレツを出してくれたのがとても嬉しかった。


 今日は夕方にワイナリーの見学に行くという予定になっており、それまではイタリアの登山の中心地であるドロミテ方面に簡単にドライブで観光に行く予定である。ドロミテは、2009年に世界自然遺産に登録されたイタリアの山岳地帯である。ドロミテは18世紀にドロミテの山様の根幹をなす珊瑚礁が隆起して生じた石灰岩の中でも炭酸マグネシウムの含有量が多い岩石(ドロマイト)を発見したフランスの地質学者であるドロミューから名付けられており、石灰岩質の白い岩肌が象徴の山肌が特徴的な、登山好きは一度は訪れてみたいと思うこと間違いなしの観光地である。今回は時期的に残雪のシーズンであることや、トレッキングする時間はなかったので、ドライブを中心に車でアクセスできる観光地を巡る算段になっていた。


 まずはベルーノからオリンピック開催地としても有名であるコルティナ=ダンペッツォ方面へ。1956年に冬季オリンピックの開催地の一つとして有名になったコルティナ=ダンペッツォであるが、2026年の冬季オリンピックで再び開催地となることですでに有名になっている。


 ベルーノから北上していくと、すぐに景色がすでに圧巻で、四方八方が景勝地という感じで目が離せない。ときおり訪れる山間の集落の民家と背景の圧倒的な景色の対比が素晴らしく、特に有名でもない集落で止まっては記念撮影をしてしまう。北アルプスの安曇野あたりに行くと、水田や蕎麦畑の背後に雄大な北アルプスの田園風景が見え、そのコントラストに息を呑んだりするが、山間の狭小な谷間にポツンと開かれた集落に、切り立った凛々しい山容が見えるのもまた違った迫力があり、美しいと感じた。我々にとってはこれが非日常であるが、このあたりに住んでいる人はこれが日常なわけで、この集落に住んでいる人が東京の摩天楼の中にくると、私が今抱いている感覚を持つのだろうか、とふと疑問に思った。摩天楼に慣れ切った自分からすると、こっちの方がいいよと思ったりするが、隣の芝は青く見えるだけで、この環境に住んでいる人からすると、日本の狭くてそそり立つビルが近い方がいいよ、と思ったりするのだろうか。

ドライブ中の光景
立ち寄り写真撮影。美しい以外の形容詞が出てこない。

 そんなふうにして、周りの景色に感動してドライブを進めていく。この時期はまだ標高2000以下の雪がようやく解けた段階で、まだまだ、残雪を求めてスキーヤーがこのあたりに集結をしていた。


 そしてドロミテの観光ガイドにはぜひ行くべし、とどれにも書いてあるミズリーナ湖へ。まだGWのこの段階でも湖はほとんど氷が張っていて、ミズリーナ湖の代名詞でもあるドロミテの山々を湖面に映すミラーレイクは拝むことはできなかったが、背後に見える山々の姿、特に南方に見えるアンテラーオ方面の山の姿と、氷河の景色は本当に美しく、感動した。また機会があれば今度はトレッキングをして、雪のない時期に訪れてみたいと強く思った。

氷にまだ閉ざされているミズリーナ湖
世界遺産と示す看板

 あまりドロミテでのんびりしすぎると、夕方のワイナリー見学に間に合わないため、後ろ髪を引かれまくって、ドロミテを後にし、次なる目的地である次また世界遺産、プロセッコの丘へ車を走らせる。調べている限り、プロセッコの丘のあたりになる街、バルドッビャデネあたりはあまり観光開発が盛んではないので、明確にどこどこに行けばプロセッコの丘だぜ、ということを楽しめる場所ではない。自ら興味を持ってワイナリーのツアーだったりを申し込まないと、ワインのことはあまりくわしく行くだけでは感じることができない世界遺産である。その点、イタリア在住の2人が、良さげなワイナリーツアーをピックアップしてくれて、本当にありがとうございました!!しか言えない。持つべきものは友と行動力である。


 電車で東京から山梨方面に向かう際に、甲斐大和から塩山に抜ける際に、斜面一面に見える葡萄畑の姿を見て、感動する人が居ると思う。自分もはじめて甲府で勤務するぜ、となって電車で甲府に移動した際に窓から見えた甲府盆地の景色を見て、息が漏れたものだが、その勝沼の丘から見る葡萄畑の規模を遥かに凌駕する規模の葡萄畑が一面、地平線の先まで広がっていることを見て、これがワインの本場か…とため息が出てきた。山梨だけを見ていた、盆地はまさに井戸の中。世界に行けばこんな大海のような世界があるのだなあと、自分の見識の狭さを感じたのであった。世界は本当に広かった。

地平線まで広がる葡萄畑。スケールが違いすぎた。

 今回、2人がアテンドしてくれたワイナリーは、「Cantina Rosanatale」というワイナリーで、バルドッビャデネからは少し南に行ったところにあるワイナリーだった。もちろん日本で聞いたことがない。それもそのはずで、家族経営のごく小規模のワイナリーで、そもそもこのワイナリー見学に申し込んだ日本人は我々がはじめてだよ、と言われるレベルのワイナリーである。


 今回は色々とワインのテイスティングができるんだよ、と言われていたので、とてもワクワクしていた。ワインのテイスティング、と言われると、何種類かのワイン、赤ワインや白ワインやスパークリング…いろんな葡萄の品種などの違いを試させてくれるのかな、と思っていた。しかし、どうやらそれは違うようだった。全部で4種類のワインを試させていただいたが、なんと全てテイスティングするのはプロセッコ・ということで、さすがプロセッコの丘だった。全部スパークリングワインじゃねえか、と思うことなかれ、全てのワインの違いを丁寧に説明してくれ、その説明を踏まえて試飲をすると確かに言われた通り、味や風味、余韻も全く違う別物だった。酒の奥深さをまざまざと感じさせられた。


 土の種類でも味が変わるし、醸造の仕方でも全く変わるんだということを体験した自分、お土産のプロセッコいくらですかと紹介されると、最も高いプロセッコで12ユーロとのこと、即決でお土産で購入を決断した。プロセッコの大ファンになってしまったが、日本でこのおいしいプロセッコをここまでリーズナブルな価格で簡単に手に入れることは極めて難しいので、悲しくなった。日本酒に負けない文化をワインも日本でこれから作り上げていってほしい。応援する。


4種類の試飲。どれも味が違い、ワインの奥深さを痛感。

 そんなこんなで、ワイン見学を終え、3人での楽しいオリエンテーリング遠征もひとまずこれで一区切り。レンタカーを返却し、パドヴァへ帰ることに。本当に充実した3人での小旅行だった。色々と調整してくれた粂家に感謝しかない。明日からは単発での観光デーが続く予定である。


30日 運動不足解消ダイエットランinガルダ湖

 イタリアは3日の金曜日の午前に出立する予定である。なぜ3日なのか、と言われると、一番安かった航空券の日付が3日だったからで、正直オリエンテーリングのスケジュールをこなしてから、3日までは特にやることを決めきれておらず、暇だった。もともと、チャンピオンズリーグの準決勝がミラノでやるかも、ということで淡い期待を抱いていたのだが、頼みの綱のインテルは早々にチャンピオズリーグで敗退しており、ヨーロッパリーグで勝ち進んでいたアタランタのゲームもアウェイでのゲームで、サッカーみたいという野望も叶わなかった。従って本当に暇だった。


 その中でも、一回ガルダ湖にうかぶシルミオーネという半島にはぜひいった方がいいという助言をじゅんやから貰い、天気予報を見比べて天気が良さそうな30日はガルダ湖にいき、あまり良くなさそうでも楽しめそうなヴェネツィアは1日に行くこととした。


 オリエンテーリング以外で走っておらず、これは太る良くない、酒めっちゃ飲んでるし、ということで、シルミオーネまではペスキエーレ駅から走ることにした。大体20kmくらい走れば公共交通機関を使わずに観光をエンジョイできるという算段である。


 パドバからペスキエーレまでは電車で約1時間半である。途中、乗り換えの接続がうまくいかず、1時間ヴェローナで時間を潰すことになった。遅延のせいである。さすがイタリア…。せっかく1時間あるしヴェローナで観光と思っても、1時間ではヴェローナの世界遺産が集まっている地区までは行くことができず、駅前のパッとしない遺跡だけを見て終わってしまった。今考えると、もう少し時間をかけてでも世界遺産の集まっている中心地を見ておけばよかったと後悔。


 ヴェローナから一駅で、シルミオーネの玄関口であるパスキエーレに到着。ここで走る用意をして、シルミオーネ方向へ走り出す。ガルダ湖は、イタリア最大の湖で、湖畔にはテーマパークが整備されていたり、ヨーロッパの人たちのリゾート地として発展している。ただ、日本人にはあまり馴染みがない地区らしく、基本的にすれ違う人たちは欧米系の人たちが多かった。


 パスキエーレ駅からさほどいかないところで、湖の湖畔に到着する。雰囲気が観光地感が出ていた。この遠征でまだ観光地らしい観光地にはほとんど行っていなかったため、いかにも観光地ですという佇まいの街並みに少し慄く。まだお昼過ぎなのにカフェではお酒を嗜む人たちで溢れ、湖畔の美しい街並みを眺めたり、湖畔のビーチで日光浴をしていたり。バカンスに来ている人たちが多く、日本の琵琶湖とは全く違う雰囲気だった。沖縄のビーチのようである。そしてなぜ欧米の妙齢の女性たちはビキニの上をつけないでビーチを闊歩できるのだろうか。うーん、文化の違いというのは、素晴らしいものである。(若い女性はしっかり水着を着用している人が多かった)まあ、みられて無くなるものではないしな…。



イタリア最大の湖のガルダ湖、確かに綺麗だった。

 GW辺りということで、カラッとした空気で、走るにはちょうどいい気候の中進んでいく。今回の目的地であるシルミオーネは、ガルダ湖の南に位置する湖に突き出た半島で、古くはローマ時代から、保養地として栄えていたらしい。シルミオーネには温泉…そう、テルマエロマエで一躍有名になったイタリアの温泉があり、古代ローマ時代の最古のテルメとして保養地の根幹を成しているそうである。確かに調べるとシルミオーネには日帰り湯があり引かれたが、結構いいお値段がした。

シルミオーネにあるテルメ。お湯ではなかった。

 走って半島のあたりについて、観光地の核心に向かっていくと、走るのが憚られるほどの人通りができている。特に中心への入り口のスカラ家の城の手前あたりはひどい人混みで、めんくらった。日本人に知られていなくてもこんなに人が居るんだなあということで、日本のガイドブックに対して情報がなくても観光地として名を馳せているところはごまんとあるんだなあ、という新しい知識を得たのであった。

混み合うスカラ城周辺。


 正直シルミオーネの見所はこの半島から見える景色と遺跡がある程度で、一回景色を見ると大体同じ景色を見続けることになるので、観光するぜという強い決意を持ってくると少し飽きてしまうかもしれないなあというつまらない感想を抱いてしまった。これは翌日行くことになるヴェネツィアでも感じるのだが、自分は自然が好きで、こういった街並みや歴史的な何かについてはあんまり興味がないんだなあという決定的な自己理解の深化をしてしまった。うーんギルティ。自然的な観点で言うと、この辺り、特にガルダ湖の北部が半島の先から拝むことができ、おお、U字谷に侵食されているところにこんな湖ができたんだなあ、と言うこととか、北部の斜面の山肌が露出している部分が多いのは、乾燥が激しいイタリアならではの光景だ、教科書に書いてあったぜ!と言うことを実際に目にすることができて感動したと言う点で、一般的な観光からすると外れていて、ちょっと自分の捉え方に問題がありそうだなあと言うことを認識した。でも、興味ないものは興味があまりないのでしょうがなくないですか。


歴史好きには面白い・・・かも


 と言うことで、ふーん、景色よかったな程度の感覚でシルミオーネを後にして、デセンツァーノ駅まで走るのだが、結局同じ景色が続くので、あまり感慨もなくいいダイエットができたぜという感じで、この日の観光日程を終了した。結構疲れたので、帰りは特急課金して快適なパドバまでの帰路を過ごすことができた。短時間での乗り換えはもう勘弁である、と勉強した。

 

5月1日 水の都ヴェネツィア観光と、最後の晩餐

 1日はヴェネツィア観光に行くことにした。他にもワインの産地で有名なソアーヴェやエウガネイとかにも行ってみたかったのだが、まあはじめてのイタリアだしやっぱり有名な観光地であるヴェネツィアには行っておくべきか、と言うことでヴェネツィアに行くことに決めた。パドバから30分程度で観光の入り口であるヴェネツィア=サンタルチア駅に辿り着けることも決め手の一つだった。


 ヴェネツィアはご存知の通り「水の都」と呼ばれている。航空写真を見てもらえればわかるように、ヴェネツィアはラグーン(潟)の上に作られている都市で、長い年月をかけてラグーンの上に基礎を打って土台を作り開拓された人工的な地盤の上に成り立っている都市である(地震来たら液状化で終わりそう)。そういった経緯から、運河が発展しており、その運河の交通などから織りなす景色が世界遺産として登録されており、これはシルミオーネの100倍日本人が知っている観光地として日本でも名を馳せているのであった。


 と言うことで、この前の電車よりは空いている電車でサンタルチア駅へ。ヴェネツィアへ向かう唯一の橋であるリベルタ橋を渡りきり、終点のサンタルチア駅へ。駅に降り立つと、たくさんの観光客で溢れきっていた。何より、日本人らしき人たちの姿がたくさん見られることに感動した。こ、これが俺の知っている観光旅行だ…!となった。まあ、大体は家族できているか、カップルできているかの2択で、ソロ旅行者の日本人は明らかに自分だけだったのが少し悲しくなった。そうだよな、ヴェネツィアとか普通、ハネムーンとかでくる場所だよな…と我に帰ったが、今が楽しければそれはそれでいいのである。ソロ旅行は他を気にせず楽しめるのが大正義なのである。


 ヴェネツィアは今年の5月からオーバーツーリズム対策として、入島税の支払いが必要になっている。ゲートのようなものはないが、チェックをされた際に支払っていないと高額な罰金が課せられるようだ。ビビって事前に支払っていたが、この旅の中でチェックされることはなかった。


 サンタルチア駅前から、すでに運河が目の前に開かれており、目をしょぼしょぼさせた。これが世界に誇る観光地か、と言うことで駅前からハイライトである。特にここを見たいと言うのもないので、とりあえずヴェネツィアの誇る一大観光地である、サンマルコ広場を目指して歩みを進めることにした。

駅から徒歩30秒の光景。最初から水の都感がすごい。

 ヴェネツィアは車両の乗り入れが禁止されているので、交通手段は徒歩か水上交通しかない。写真で有名なゴンドラはそこそこのお金がかかるので、特にゴンドラに乗りたいぜ、と言うこだわりがない限りは、水上バスが安くて速くておすすめである。ただ、まずは街並みを堪能するために徒歩で移動することにした。

 網目のように狭い通路と水路の街並みは、手元に地図か携帯がなかったら確実に迷ってしまうくらい複雑だった。オリエンテーリングの世界大会の舞台にもなったと言う理由が少し歩くだけでわかる。迷路のような街路を進み、その光景を眺めてヴェネツィアを堪能する。途中、有名なリアルト橋を横断すると、かなりの人混みで、オーバーツーリズムの気配を感じた。感覚的には混雑している鎌倉の小町通りとかアメ横を歩いている気分だった。

リアルト橋から(反対側の景色の方が有名…撮り忘れた)


 そんなこんなで、どこの通路にもたくさんの人がいる道をかき分け、世界で一番美しいとナポレオンに言わさせたらしいサンマルコ広場へ到着した。なるほど、これは確かに日本でも人が街中を回遊する際の象徴的なスペースの事例として参考にされるだけあり、美しいなと感じた。広々とした空間に整然とした美しい建物と輝くサンマルコ寺院。これは確かに世界遺産だ。広場にはいくつかのカフェがあり、そこでたくさんの人たちがアぺっていて、さらには楽器の演奏まで。絵に書いているようなヨーロッパの広場、と言う感じで非常に感銘を受けた。

サンマルコ広場とサンマルコ寺院

 本当はサンマルコ寺院にも入ろうと思っていたのだが、あまりの行列だったので特に別に建築や絵画に興味がないと言う自分の性もあり、とっとと退散して、海沿いへ行くことにした。今思い返せば、並んで入ってもよかったかなと思わなくもない。

 やることもないので、海を眺めてラグーンを鑑賞しつつ、一番先のサッカースタジアムまで散歩をした。サンマルコ広場から先は正直、特に見所はなかった。



ヴェネツィアFCのホームスタジアム。観光客自分以外誰もいなかった。


 がっかりしたのかわからんが、とにかく疲れたので、あとは歩かない観光を…と言うことで、水上バスに乗ることに。水上バスは1回75分乗り放題、と言うことで一回券を購入。優雅な水上バス旅と洒落込もう。これが最高に楽しく、隣のガラス細工のムラーノと言う街まで行って本島に帰るという行程だったが、水の都という趣を相当に吸い込むことができて心が満たされた。写真だとうまく伝わらないと思うので、ヴェネツィアに行ったらぜひ水上交通に乗ってヴェネツィアの空気をみんなに堪能してもらいたいと強く思った。



 パドバに帰ってきて、これが最後のパドヴァで過ごす夜ということで、粂家の提案で、最後の晩餐と洒落込み、ヴェネトの伝統的な料理を出してくれるという、大学教授のお墨付きの料理屋さんでディナーをすることになった。個人的に好きな旅系Youtuberのノージョブフドウのイタリア旅行編でも、飯がバカうまいということをひたすら言っていて本当かよと、イタリアに来る前は思っていたのだが、まじでイタ飯バカうまい、ということを教え込まされ続けた遠征だった。例に漏れず教授のお墨付きの店の力はその通りで、バカうまかった。特に、ヴェネトのパスタであるビゴーリが半端ない。なんだこのパスタ麺、うますぎる。イタリアきて本当に良かった。そしてどの店で頼むワインもバカうまいしバカやすい。イタリアご飯、最高…。



 もう日本に帰りたくないと思っても旅の終わりは来るわけで、明日はついにパドバをたち、帰りの飛行機が出るミラノへ向かうのであった。粂家のお二人にはマジで感謝の遠征だった。日本帰ってくることあったらもてなさせていただく所存である。

 2日 日本帰国前夜、ミラノ観光とミラネーゼ

 今日まで日頃の行いが良かったからかわからないが、ほとんど天気がよく過ごすことができていたのだが、今日はあいにくの空模様で、かなり強い雨が降っていた。パドバのスーパーでお土産を調達し、ランチを食べた後に、特急に乗り込みパドバからミラノへ、やっぱり勝手に静かに15分ほど遅延してミラノに到着した。2度目のミラノ中央駅である。明日の午前中の便で日本に帰るため、今日はミラノで一泊して、朝一に空港へ行く予定である。


 ホテルにチェックインし、荷物をおいたのちにミラノ観光へ。といってもあんまり時間もないので有名なところを2、3だけ見て夕食を食べるだけというあっさりした予定である。


 治安の悪いということで評判の地下鉄に乗車し、ミラノで一番有名な観光地であるミラノのドゥオーモへ。地下鉄を降りてすぐに広場があり、その大きさにびっくりした。確かにこれを最初に見てしまっていたら、パドバのドゥオーモは小さく見えてしまうな、と。今日はあいにくの空模様であまり輝かしくは見えないが、綺麗な大理石の白基調で作られた聖堂の荘厳さは、これまで生きてきた中で見た境界の中でも随一の迫力だった。近くで見ると大きさからは考えられないような緻密なレリーフが幾重にもなっており、なんだこの金のかかり具合は、と感心してしまった。さすが宗教、お金持ちなのだなあとズレた感想を抱いた。

ミラノのドゥオーモ。荘厳という言葉がぴったり。

 隣のショッピングモール街もおしゃれすぎて、今の自分の格好がフリースに動きやすいロングパンツと、オリエンティア感丸出しの格好で、ヘルメスとかグッチとかアルマーニの服着てなくてすみませんと居た堪れない気持ちになった。ショッピングモール抜けた先にあるスカラ座は外観が改装中でちょっと残念だった。


 そのあとは南に歩いてナビリオグランデ運河まで散歩をした。昨日ヴェネツィアを見たからかはわからないが、あまり感動するものがなかった。多分天気のせいである。

ヴェネツィアを見た後なので味気なさを感じた。


 運河を見てもう少しいろいろ見ておこうかなとも思ったが、疲れていたのとお腹が空いていたのもあり、さっさとホテル方向に帰ることに。メトロに乗り最寄り駅まで帰ったのちは、ホテル近くのイタリアのトラットリアへ。一人で入っているのは自分だけだったが、周りはなぜかアジア系の人が多く、どっかのガイドブックにでも載っているのだろうか。


 ミラノなので、やっぱりミラノの名物頼まねば、ということでミラノ風カツレツとして有名なミラネーゼを注文した。あとワインも。肉だけだとと思いピザとサラダも合わせて注文した。そしたらとんでもない量の肉、ピザ、サラダが出てきて目ん玉が飛び出た。一人で食う量じゃないぞ…と思いつつ、美味しいし、残したらお店の人に言わんこっちゃないという冷たい目で見られそうという強迫観念に駆られ、最後はフードファイターになり死に体で完食した。最初は美味しかったワインだが、最後は飯を流し込むドリンクになってしまって大変申し訳なかった。ただ、味もボリュームも申し分ないので、次は二人以上で来ることにしたい。そんな機会が訪れるのかどうかは知らんけど。

最後の晩餐のワイン、めちゃうまの微炭酸
多分30cmくらいあった。デカすぎんだろ

 ホテルに帰った後は、パッキングを済ませ、帰国準備を整えた。これが最後のイタリアでの夜。寝坊だけは絶対にできないので、何個も目覚ましをかけて眠りについた。


 3日 日本帰国、アリーベデルチ、イタリア

  朝起きると、明らかに昨日の晩飯を食べすぎたせいで胃の調子がよくない。帰りの飛行機のフライトは長い。なるべく用を足しておきたいという思いから、朝起きてからずっとトイレに立て篭もり、お腹のコンディションを整える。お腹の調子が良くなく、朝食は抜いて空港にすぐに向かう。

 ということで最後にはなんのトラブルもなく、ミラノのマルペンサ空港に到着した。エバー航空のチェックインカウンターは大行列で、眺めていると台湾人と日本人が多そうだった。日本人に優しいキャリアとして、これからも積極的に使いたいと思ったエバー航空だった。

 感慨に浸る時間もなく、空港を出発。また長時間のフライトを経て台湾でトランジット、時差もあいまり機内は爆睡で気がついたら日本に到着していた。あっという間の1週間ちょっとのイタリア遠征となった。アリーベデルチ、イタリアよ。

さらばイタリア
機内食は総じて美味しいものが多かった
仙台に就航しているので、結構使うこと多そう。

イタリア遠征総括。結論、イタリア is God

 旅の総括として、所感を述べさせていただくが、率直にいってイタリアの旅クオリティは高い、神である。まず、飯がうまい。何を食べても基本的に美味しい。次に酒がうまい。ワイン好きにはたまらないししかも価格も安い。その次に人も優しい、親切な人が多い印象だった。あと、物価もお隣スイスに比較するとはるかに安いし良心的である。満足度が高い。さすが世界遺産の数世界No.1の国だと思った。


 改めて、自分の感動ポイントは自然にあることを痛感したのだが、別に自然がそこまでという人でも腐るほど美術館や教会や美しい都市はあるのでどんな趣味嗜好の人でも満足させられる懐の広さを感じたのである。


 オリエンテーリングの遠征に行ったはずなのに、オリエンテーリングよりも飯とかのクオリティが良すぎて、そっちの印象がだいぶ強くなってしまった遠征であるが、これもまた緩めに行く海外遠征ということでありだなと感じた。イタリアでホストしてくれた粂家に改めての感謝。


 今のところまだ当面は限界独身フッ軽男性の予定なので、今後も気軽にフッ軽して国内・海外のキワモノオリエンテーリング大会に参加していきたい所存である。遠征メイト大募集中である。


 次はどこ行こうかな…と悩むまでもなく、次の遠征のスケジュールも決まったので、楽しみは尽きない。オリエンテーリングができるようになって本当に最高!オリエンテーリングがそこそこできるようになれば、世界どこでも楽しめるんだぜ。ということで夏はカナダ遠征を予定しているので、万全の用意をしていきたい。


おしまい


シャンパーニュにも行ってみたくなった


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