マレーシアのオリエンテーリング大会(WRE)に出場した【オリエンテーリング/マレーシア遠征記】


はじめに

 大学生の時に、レジャセンでアルバイトをしていた。その時レジャセンで働いていた近藤さんから、11月に外務省の国際交流か何かの一環でシンガポールのオリエンティアが来るから、働きつつオリエンテーリングを教えるのを手伝ってほしいという話があった。ちょうど卒論を八ヶ岳で書いていたこともあり、その申し入れを受けてレジャセンでバイトをした。

 スケジュールは安曇野で開催されるクラブカップの前の1週間八ヶ岳でオリエンテーリングをして、そのあとに全日本スプリントとクラブカップに参加するという行程だった(はず)。シンガポールからやってきたのは確か4人。英語があまり得意ではないのでうまくコミュニケーションをとることがなかなか難しかったが、とても興味深い話を聞くことができたと記憶している(何が興味深かったかといわれると……記憶が定かではない部分が多数あり難しい)

 そのあと、2019年にはAsJyocの開催が日本であり、もう一度シンガポールからやってきたオリエンティアのほか、たくさんのアジアの選手団を受け入れることになった。AsJyoc運営は過酷を極めたが、当時見たアジア各国の若手の選手の姿、清泉寮や清里の森を中心にした素晴らしい会場、フラワーセレモニーと表彰式に各国の国歌、バンケット……どの景色を振り返っても素晴らしい記憶として今でも強く思い出すことができる。

 学生の時は金がなく、社会人になってからすぐはあまり海外に対しての意識が弱く、あまり世界のオリエンテーリングに目を向けていなかったが、社会人になってある程度時間がたち、お金もそこそこ余裕ができて、私的な時間の作り方も今の仕事に慣れてうまくなって、かなりの時間を余暇に充てられるようになったのが最近である。なので、別に記事を上げる(まだ記載中)WOC遠征に行くことができたし、もっと海外のオリエンテーリングを体験していきたいと考えはじめた。

 IOFのイベントカレンダーには、世界各国で開催されるオリエンテーリングのWREが掲載されている。仕事が比較的手すきになりやすい11月あたりに何か手ごろな大会はないだろうかと調べていると、カレンダー上に忽然と光る「Malaysia」の文字が。2019年には各国から集まってくれたアジアの選手たち。今回は自分がそっちに行ってアジアの大会の空気を味わうのもいいかもしれないなと思い、いろいろと予定を立てていった。それが2023年の9月くらい。1人でも行くつもり満々だったが、マレーシアに雑に誘っても来てくれそうなオリエンテーリングが好きそうなやつ…ということで、大学の後輩のさいとうに声をかけてみた。送ったラインは下記の文章。

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 ありが「11月マレーシアいかね?オリエンテーリング」(原文ママ)

 さいとう「行くかー」(原文ママ)

―――

 フォーエバーさいとう、フッ軽さいとうよ、永遠なれ。大好きまである。

今回の旅の魂のソウルメイト

 9月末に一度サイゼリヤでマレーシアの行程等をミーティングして詰めて、ホテルや飛行機を取り、準備を進めていった。マレーシアのオリエンテーリング事情には全く明るくなかったので、経験者にいろいろと話を聞いてみると、かなり運営はアバウトらしいことが分かった。アジアでのオリエンテーリング経験の豊富なクラブメートのすすむさんの情報では「空港に迎えに行くぜ、待っててくれ!」と運営に言われて待ってたら半日たっても来なかったという逸話や、前の週にお会いした同じくマレーシアに行くOCの大先輩の茅野さんの話では「スタリは当日朝発表、とりあえずクアランティーン締切の時間までに行けばいい」とか「設置ミスはざら」のような素晴らしいオリエンテーリングの経験談を聞くことができた。おかげで、そんなにかしこまんなくても相手もかしこまってなさそうだから何とかなるか、という軽い気持ちで遠征に臨むことができた。先達の知恵に感謝である。

 そして迎えた大会2日前の深夜、2023年の11月16日に羽田空港より、未知との遭遇に近しいマレーシアへのオリエンテーリング遠征が開幕したのであった。


2023年11月17日 マレーシア遠征Day1 マラッカ歴史探訪と笑撃のモデルイベント

 16日の深夜に羽田空港からLCCであるエアアジアXのクアラルンプール行きの航空機に乗り込んだ。

深夜羽田発のクアラルンプール行き

 座席等はLCCらしくかなり質素で、この前スイス遠征で乗ったエミレーツ航空の航空機との格差を感じた。荷物も制限厳しいし、旅行だけならLCCでもいいが、オリエンテーリングの用品とか走る用品をいろいろと持っているとLCCはきついなあと思いながら乗船。深夜なので寝るだけ…と思いながら取ったのだが、座席の狭さ、かなり効いている冷房、そして気流があまりよくなく揺れる機内……約7時間半のフライトで2時間程度うとうとした程度の浅い睡眠でクアラルンプール国際空港に到着した。

早朝のKLIA2から見る日の出

 マレーシアと日本の時差は1時間である。マレーシアより見た目は東に位置しているベトナムは2時間の時差であるので、少し不思議な感覚になる。現地時間の7時過ぎに入国審査を通過し、マレーシアに入国した。これが私自身初めてのマレーシア、東南アジアである。勤めている会社柄、東南アジアが大好きな人が多く、ことあるごとに東南アジアはいいぞ、という言葉は聞いていたが、生の体験はしたことがなかった。なので今回は東南アジアを思いっきり体験しようと心に決めていた。

 まずは朝食を食べようということで、KLIA2(クアラルンプール国際空港ターミナル2…LCCが集まるターミナル)に隣接しているショッピングモールのフードコートで朝食を調達。地球の歩き方に「マレーシア定番の朝食!」と書いてあったナシレマを購入して初体験。ナシレマは米をココナッツミルクで煮て炊いて、そこにナッツや辛いソースがかけて味付けをしている料理である。最初はココナッツミルクで米を炊くのなんてありえねえ、と思っていたが、一口食べてみるとタイ米の程よいパラつき感と辛めの味付けがされたソースがマッチしており、ナッツが触感のアクセントにもなっており、かなりおいしかった。何事も決めつけはよくないな……と反省した食事になった。

ナシレマ

 金曜日の今日は、19時までに空港から少し離れたプトラジャヤ(日本でいう霞が関的な土地)に設けられたイベントセンターまで行き、受付をする必要があるがそれまでの時間はフリーである。なので朝に空港に着いたら、観光に行こう、ということをさいとうと話して事前に決めていた。最初はクアラルンプールの観光に行こうと考えていたのだが、諸々調べていく中でせっかくだから少し遠いけど世界遺産の街は見に行ってみたいよね、という話になり、歴史的にも重要な交通の要所として知られているマラッカまで行くことにしていた。

 ここでマレーシアの交通について触れておくと、クアラルンプール方面はかなり公共交通の電車やLRTなどが発達しているが、ほかの都市に行こうとする際の選択肢はバスかタクシーが多くなる。バスが圧倒的に安く、例えば今回行こうとしてたマラッカまでKLIAからバスで行こうとすると大体30リンギット(日本円で約1000円しない程度)で行けるのだが、時間がそこそこかかって3時間程度かかる。そこで今回はGrab(ほかの海外でいうところのUber)を利用してタクシーを捕まえることにした。このGrabがかなり便利で、今回の遠征の移動は利用料金が日本のタクシーと比較してはるかに安いことに甘えて、配車までの時間もほとんどかからないこともあり、移動にはGrabばかりを利用することになってしまった。旅のだいご味である移動に伴う困難さが排除されており、つまらない部分もあったかもしれないが、利便さにはかなわない。

KLIA2の1回でGrabでタクシー調達。ライドシェア大賛成!

 KLIAからマラッカまではGrabで高速代込みで220リンギット。バスの約半分の1時間半程度でマラッカの市内まで到達することができる。Grabは初利用だったので、少し緊張しながら初めての配車依頼。ほどなくドライバーがつかまり、すぐ行くぜ!とチャットがドライバーから飛んできた。科学の力ってすげー。

 日産の車に乗ったマレー系のドライバーが登場、サンキュな!という感じのさわやかなお兄さんだった。乗車して、ドライバーからいろいろと話しかけてきてくれた。日本の高速道路に似たフォーマットのマレーシアの高速道路の姿、想像していた通りの東南アジアの車窓で飽きない車内だった。そして文字通りの1時間半ほどでマラッカの市内に降り立つことができた。

高速からの車窓

 マラッカの歴史は複雑である。マラッカ海峡という世界的に見ても超重要な交通の要所であり、そこをめぐって様々な歴史が織りなされている。私は歴史マニアでもなんでもないので、詳しいことはよく知らない。大学では地理のほかに歴史が必修の学部だったため歴史を勉強せざるを得なかったが、大学で学ぶ歴史学は高校までの歴史と全く違っていて、「そもそも歴史とは何ぞや」「歴史はどのように紡がれて修正されていくのか」というような認識の概念的な話から始まるので超苦悶だった。そんな私のまとめなのでえせ情報的にとらえていただきたいが、マラッカの歴史を一言でまとめると「ごった煮」である。

 マラッカは14世紀末にジャワから逃げてきたパレンバン(スマトラ島)の王族により、マラッカ王国が建国され、その根幹を支える商業の港として発展を遂げた。15世紀にマラッカの商業の中心はイスラム系の商人であったことから、マラッカ王国はイスラム教の影響を大いに受けて15世紀後半は完全にイスラムの勢力圏となっていた。しかし、その交通の要所を狙ったポルトガルに1511年に攻撃を受け、ポルトガルの占領下に。その後1世紀後にはオランダの統治下になり、その後はイギリスの統治下に、という形で目まぐるしく体制が変わっている。また、民族的にも土着していたマレー人のほかに16世紀以降に入ってきた中華系の人種により形成された中華街がある。(マレー系と中華の文化が混ざり合ってできたのがババ・ニョニャ文化と名前が付けられているほど混ざり合っている)。そんなマラッカの歴史を事前に調べているだけでごった煮感がすごいなと感じていた。

 そんなマラッカの街に降り立ち、まずは近くの河川敷を歩くことにした。マラッカの中心地を流れる川のほとりに遊歩道が整備されており、歩くことができた。日本の観光地で川沿い(運河)を歩くというと、京都だったり佐倉や小樽のような落ち着いた雰囲気が思いつくが、マラッカの川沿いの風景は日本と全く違う。緑、青、赤、ピンク、黄色、水色……ビビッドなカラーに彩られた家の模様が川沿いの景色を埋め尽くしていた。日本でいう和とは対極にありそうな光景に、文化の違いを早速強く感じた。

超カラフルな建物の外壁。信じられない色をしている。

川沿いの遊歩道、クルーズ船もあるらしい。

 その後、川から少し外れたところにチャイナタウンがあるため、そちらに赴いた。青雲亭と呼ばれるマレーシア最古の寺院に入り、参拝をした。日本の寺院とはデザイン等が違う中国寺院の雰囲気を感じた。

青雲亭の入り口

 チャイナタウンは物販をしている店がとても多く、活気があった。マレー系の売り子の人がいれば、中華系の顔立ちの売り子もいて、独特な雰囲気を味わいながら街歩きをした。

チャイナタウン

 チャイナタウンを出てすぐのことだった。とても驚いたのはチャイナタウンのすぐ目と鼻の先にオランダ広場と呼ばれる世界遺産の構成員の一員である広場があることだった。オランダ広場は名前の通り、オランダ統治時代に建造されたオレンジ色のスタダイスや派手なデザインのキリスト教会がそびえたっていたことだ。こんなに近くに異文化があって当時の人々は何も思わなかったのだろうか、と考えた。今となっては観光地となっており、融合しているように感じるこの違和感のある光景は、建立された当時はどう認識されていたのだろうか。歴史に浅学な私では想像すらできないが、異文化の密接という街の光景はとても心に残った。

 オランダ広場から少し丘を登るとみることができるのがセントポール教会である。ポルトガルの統治時代は、マラッカがキリスト教の宣教師の活動拠点として利用されていた。その拠点の一つであるセントポール教会は、日本史でもなじみが深いフランシスコ・ザビエルもゆかりがある教会である。石積みの大きな協会はフォトジェニックで有名なようで、たくさんの女性が思い思いのポーズをして記念撮影をしていた。高台にあるこの教会からは、マラッカ海峡を見ることができる。現在でも交通の要所として数多くの商船が通過するマラッカ海峡である。肉眼で確認できる範囲でも両手両足の指には収まらないくらいの数の巨大なタンカーを見ることができた。古くから栄えた理由が、今現代でも実感することができた。

セントポール教会の内部

セントポール教会からマラッカ海峡方面を見ると、タンカーが多数見当たる。

 教会から降りてこちらも人気の観光スポットであるサンチャゴ砦を少し見物した後は、20リンギットを支払い、マラッカスルタンパレスという、復元されたマラッカ王国の王宮と併設されている民族博物館を見物した。英語の説明をざっくり見ながら展示物を眺めて、いかに多種多様な人々がマラッカにかかわっていたのかを肌感覚で理解することができた。きっともっと時間があるときにじっくり調べたら面白いんだろうな、と。

スルタンの居室が再現されている。

 近くのショッピングモールで食事をとった後は、マラッカの南にある海上モスク(マラッカ・ストレイツ・モスク)を見ることにした。Grabでタクシーを拾ってモスク近くまで行き、モスクに入場しようとすると警備員に押しとどめられた。警備員に指さされた先を確認すると12月までは理由はよくわからないがツーリストは入場を制限されているようだった。海の上に立つモスクを一目見たかったのだが、無理なものは無理なので諦めた。とても残念だったが、たくさんのイスラム教信者が入っており、物々しさを感じた。日本では希薄に感じる宗教信仰であるが、海を渡れば全く違うという感覚を味わった。このモスクは出島に位置しているのだが、出島の入り口付近には明らかに建築途中で打ち捨てられた巨大な建築物があり、その近くの整備されているエリアもゴーストタウンとなっていた。観光地だからと言ってやみくもに開発してもうまくいかないこともある都市開発の難しさを肌で感じた。

クソでか建物が建築途中で打ち捨てられている。

 見たいところもだいぶ見切れたので、モスクをあきらめたのちは今回の遠征の本題であるオリエンテーリングに脳を切り替えることにした。最初の移動でGrabの便利さを知ってしまった2人の脳内では、もう公共交通を使うという選択肢は頭になかった。迷わずGrabでプトラジャヤまで行ってくれるタクシーを呼び出し、プトラジャヤへ。また折り返し1時間半強のドライブとなった。車中、今回の相方のさいとうは全く微動だせずに寝ていた。

Grab最高!

 今回のマレーシアのオリエンテーリング大会の2日間大会は両日ともマレーシアの行政的な首都にあたる計画都市である。日本でいうと霞が関付近のように、皇居から首相官邸、省庁、裁判所等が集約されている。もともとマレーシアの行政府はクアラルンプールに位置していたが、1995年に混雑等の解消に向けて開発着手され、現在では行政府として立派に機能している都市である。プトラジャヤはアメリカのワシントンD.Cのように首相官邸から延びる一本の直線道路が都市計画の肝で、一本の道路を軸に機能のゾーニングが細やかに計画され、都市が構築されていることが特色すべき事項である。

 そんな計画都市のプトラジャヤに広大な森林はあるわけないので、2日間とも都市内の公園が舞台となっている今回の大会、金曜日の今日はモデルイベントがあるとのことで、時間もあるし受付後に軽く参加することにした。タクシーで会場前に降ろしてもらい、会場へ。今回の大会、ブリテンのデザイン等は一丁前以上に気合が入っており、メディア的に力を入れていることはわかっていたが、まさかモデルイベント会場もかなり派手にデザインをしていた。日本でいうとOMM的な会場の作り方なイベント受付で名前を告げて、2日間のナンバーカードと参加賞のTシャツ(しかも2枚も)ゲットした。うーんかなり派手なTシャツだった。東南アジア感満載だった。受付で名前を告げると、受付とそして後ろにいた偉そうな人から、「良く来たな!!ありがとう!!」みたいな感じですごいフレンドリーに話しかけてもらった。今回の大会、東南アジアのオリエンティアは誰もが、ものすごく日本からの参加者を歓迎してくれた。

受付で諸々を済ませる。

 イベント受付でベトナム出張から参戦してきた、たかしと合流して3人の日本人が集まった。今回は私、さいとう、たかし、あと明日やってくる茅野さんが日本人の参加者全員である。たかし、さいとう、私の3人で隣の公園に移動し、モデルイベント会場で地図を受け取った。モデルイベントの地図は1/2000の縮尺で書かれたコース距離が1㎞強の短いパークOだった。あまり個人的には走る気がなかったが、さいとうはやる気満々で、なんでやらないですか!と言わんばかりの雰囲気で突っ込んできたので、仕方なく1コース走ることにした。

 汗かかない程度に…と思いのんびりして走っていたが、東南アジアの気候はそれを許してくれなかった。体感で湿度90%、気温30度くらいの中を1㎞以上軽く走って汗をかかないでいられるわけがなかった。縮尺1/2000の地図に四苦八苦して15分弱の時間をかけてコースを回り切った後には、シャツが汗でびしょびしょになっていた。東南アジアの気候は、11月の肌寒さになれてきた自分にとっては少し暑すぎた。完走後は、受付で協賛品が提供されており、Boomという名の見たことない炭酸だけどアイソトニック飲料で補給にいいぜ!と歌っているメーカーのジュースを飲んだ。味がいろいろとあって、今回のレースでは完走後に無制限で飲むことができたので全部試したが、ライチ味が一番おいしかった(ソルティライチ的な味がする)。マレーシアの気前の良さに感謝である。日本もニチレイ水は無制限で好きな人に渡す形式にしてみてはいかがだろうか。

モデイベ地図と配布物

 いい汗もかいたし、時間も18時過ぎとかなりいい時間になったので、3人でご飯を食べようということで会場近くのインド料理屋に行き、食事を食べることにした。ビリヤニを頼み、そして飲み物でビールを…と思ってメニューを探すも、酒がメニューから見当たらない。マレーシアの熱帯気候の下でのむシンハーとかタイガーとかを想像していたので、その野望が速くも崩れ去った。絶望であった。後日乗ったタクシーの運ちゃんから聞いたところによると、プトラジャヤでは酒を出してくれる店が湖沿いの店以外にないらしい。さすがイスラム教の行政府がある都市である……。代わりに頼んだフレッシュマンゴージュース(10リンギット)が最高においしかったので結果オーライである。

酒の代わりに頼んだマンゴージュースの大きさよ。

 食事後はクアラルンプール(KL)に宿をとっているたかしと別れ、明日の会場に程近くに位置する今回の拠点宿であるドーセットホテルプトラジャヤへ移動した。チェックインを済ませて部屋の景色を楽しむぞ…と思ったらまさかの窓なしの部屋でがっかり。マレーシアの中ではそこそこのホテルであるが安かった理由はここか、と原因に思い至った。まあ、きれいで寝ることができれば何でもいいかということで気を取り直した。

 ホテルの下にはスーパーマーケットが併設されており、水道水を飲むことには不安があるマレーシアなので水などの必須品を調達した。生鮮食品売り場で売っていたシャインマスカット(中国産)が激安だったので、興味半分で買って食べてみたが、山梨で買えるシャインマスカットのほうが10倍おいしかったことをここに記させていただく。日本の果物は最高です。

 シャインマスカットを食べながら今日の地図をさいとうと振り返ると、会場では全然気にもしていなかったが、地図があれれ…?と思うことが多数見つかった。まず▲→1の1コントロールが何も特徴物も置いていない走行可能度Aのところに置かれており、ディスクリプションを確認すると地図に書いていない独立樹に設置されているという表記が……。

 いろいろとはっちゃけているコントロールのディスクリプションなどに明日のイベントに一抹の不安を感じながら、9時過ぎと少し早かったが、昨日は機内での睡眠があまりとれていなかったこともあり、就寝することを決めた。明日は今回の遠征のメインイベントともいえるオリエンテーリングのWRE(ワールドランキングイベント)のスプリントに参加した後、KL観光に行く予定である。


2023年11月18日マレーシア遠征Day2(土)笑撃のWREと東南アジアの熱帯気候に完敗

 7時過ぎに目が覚め、WREの一日が始まった。窓がないこの部屋、体内時計にあまりよろしくない。

 今回は周りに朝食を食べれそうな店がマックしかなかったので、ホテルの朝食をオーダーしていた。ドーセットホテルプトラジャヤの朝食はビュッフェスタイルで、マレー系の料理から、中華系の料理など、マレーシアの食事がかなり目白押しの見どころのあるビュッフェでかなり満足度が高かった。初日の中で食べた中では、ロティチャナイというマレーシアの独自のナンがものすごくおいしくて感動した。セットでつけるカレーはかなり辛かったが。

 朝食後、食休みして準備をして会場へ徒歩で向かった。会場までは徒歩で15分ほどである。

 会場に到着するとまだ参加者の数はまばらだったが、国籍が日本とは間違いなく違う参加者がおり、ああ、異国のオリエンテーリングの会場に来たな、という心がさざ波立つような感覚を味わえた。受付は並んで係員に名前を告げる必要がある。このオペレーションがあまり洗練されておらず、かなりの時間がかかっていた。

 運営の動きは改善の余地ありと見えたが、会場のデザインだったり、配布物(ナンバーカード等)の気合の入り方はものすごくて、日本選手権よりはでなゴールゲートが設けられているし、何ならスタートはWOCに出てきそうなバックボードが用意されているし、魅せるという点での会場の作り方は日本も参考にすべきところが多々あると思った。

気合の入ったバナーが会場の入り口に

でかいモニターで中継映像が流れる(Facebookで生中継あり笑)

立派なゴールゲート

清里AsJyoc並みの洗練された会場の空間

 今回の大会、IOF-Eventorによれば、香港勢が結構参加しており、この前の全日本にも来てくれた香港のスプリントチャンプがいたり、なぞに包まれた流浪のベルギーオリエンティアの存在が確認されていた。このあたりが今回のライバルかというところで、さいとうとできれば表彰台に立ちたいよなあ、みたいに話していた。会場で合流した茅野さんからは、賞金が出るという話もあり、欲望に目がくらんだ。そういう日のレースはたいていろくなことがない。

 15分前から整列をさせられて、スタート地区へ誘導を受ける。炎天下の中立たされるのがなかなか大変だったが、そのうち自分のスタート時間近くになった。「Competitor From Japan!」と軽妙なアナウンスを受けてスタートラインへ。うーんスタートのデザインはすばらしいな、と感心した。これは気分が盛り上がる。ぜひ全日本スプリントなどでもやってほしい。

 スタートはパンチングスタートで、スタート後にSIを差し込んでスタートを切った。縮尺は1/3000の地図で慣れ親しんだと山公園箱根山地区と同じ縮尺である。昨日のモデルイベントから、コースは簡単なのではないかと思っていたのだが、地図をひっくり返してみると、あれれ、ちょっと昨日とは違うぞ、しっかりスプリントらしい部分があるぞ、と感じを受けた。

WREのコース

 序盤、最初から観光地ど真ん中の観光客だらけの中華風な庭園の中に飛び込み、面食らいながら地図読みを必死にしながら序盤をこなしていく。が、そこからおかしいぞ、こんなところに立ち入り禁止の赤白テープが巻いてあるが、地図には書いてねえ、というところが出てきて、ミスを重ねる(あとからわかったことだが、工事用の資材を置いてあるためにまかれていたテープで、オリエンテーリング用の立ち入り禁止テープではなかったようである……)。

 最も驚いたのは、中盤のレッグで、ひげが二本書かれている通過不可の柵があり、どう見ても「立ち入り禁止だぞ!!」と主張しているテープが巻かれているのにもかかわらず、そのテープをかいくぐり最短距離でコントロールに突撃していく東南アジアのオリエンティアたちの逞しさである。もちろん、監視員がいたら失格になるべき行為であるが、郷に入れば郷に従えとはこのことか、それをとがめるものは誰もいなかった。もちろん自分は競技ルールを順守したが、これで負けたらたまったもんじゃねー!と内心笑いとモヤモヤが同居していた。オリエンテーリングの競技ルールの理解度というのか、競技者のリテラシーの高さというのが、重要なんだなあと日本でオリエンテーリングをしているだけでは決して感じない感想を途中抱いた。

 後半は前半の細かい地図読みが必要な区間とは一転してかなり走れ走れのコースとなった。よっしゃ頑張るばいと思っていたが、ギアが上がらない。走っている当時は全く思い至っていなかったが、今思い返せば、地図も全く読み込めていなかったし、ぼんやりと感じている部分がとても多かったので、すでにこの時点で軽い熱中症になっていたと振り返る。 

 結果は走れているわけもないので、3.1㎞のコースに対して14分40秒程度もかかるという悲惨なタイム。これだと香港勢に勝つのは厳しいなあと肌感覚で思っているところ、走り終わったさいとうが帰ってきてタイムを聞くと自分より1分ほど速い。これは無理だなあと、賞金獲得は夢のまた夢となったのであった。

 レース後から表彰式までは1時間ほど空いていたため、その間につたない英語で香港の選手や台湾の選手、シンガポールの顔見知りのEugeneらと話して国際交流を頑張って図った。自らの英語力の向上が必須と改めて実感した……。

 OCの大先輩の茅野さんは、海外遠征の常連であることが知られている。興味半分で茅野さんに今年はまだ遠征に行くんですか?と聞いたら、今年は12月に香港に行って、年末年始は南アフリカにいくというではないか。(今年はご存じの通り残り1か月強である)さらに来年はポルトガルやその他もろもろ既にほぼ毎週のように海外でオリエンテーリングをするぞという話をされており、「オリエンテーリングの合間に仕事をしている」との発言が茅野さんを象徴していると思った。さすがに自分は毎週のように海外遠征を行うことは難しいが、ある種の理想を体現しているなと思った。ぜひ、オリエンティアナイトにいつかご招待して、海外遠征の経験を大いに語っていただく機会を設けたいと感じた次第である。

 表彰式が始まる前に何かセレモニー会場が騒がしくなったと思ったら、偉そうなお連れ様を連れたイケメンな壮年男性がさっそうと会場に現れた。どうやらこのプトラジャヤの行政領の首長のようであった。イケメンだからか、マレーシアの若年層のオリエンティアに大人気だった。日本の政治家の不人気ぶりを思うと、天と地の差があった。

若者に大人気のプトラジャヤの首長

 表彰式が始まると、まず突然のマレーシアのトラディショナルダンスセッションである。白い民族衣装に身にまとった合計4人のダンサーが歓迎のダンスをして会場の盛り上げを行った。会場の雰囲気は本当に明るくて、ダンスに合わせてオリエンテーリング参加者が盛り上がっていて素晴らしい空気感があった。この前のインカレのチアダンスの時の参加者の静かさとは本当に対照的だった。これが国民性の違いというやつなのだろうか。個人的にはもちろん、マレーシアのようなお祭り感満載の雰囲気のセレモニーが大好きである。

マレーシアのトラディショナルダンスらしい

 ダンスで盛り上げた後は、WREのセレモニーということで、今回のWREの入賞者の表彰である。優勝や実力通りか香港のスプリントチャンプ、2位が流浪のベルギーオリエンティア。3位も香港の若手のホープという結果で、日本人4人は表彰台の上に上がれず、という結果だった。賞金をもらってる3人の姿をみて少し心の中で悔しい思いが芽生えていた。

優勝者には500リンギットが授与。

 表彰式はWREで終わりかなと思ったら続きがあり、マレーシアの部、そしてASEANの部といった感じで様々なカテゴリの表彰があり、それぞれの国の選手がコールされると一斉に各国の選手が「おめでとう!!」「最高にクールだな!!」という感じで選手の表彰を盛り立てていたのがものすごく印象に残った。いやあ、日本でもこういう雰囲気の表彰式がいいなあ。

 極めつけは表彰式の最後はダンスタイム!ということでその場にいる全員が陽気な音楽に合わせて踊ることを求められて、それに合わせてみんな思い思いに踊り始めたではないか。なんだこの陽の世界。日本とは別世界、超素晴らしい。日本の大会は少し硬すぎるぜと前々から思っていたが、こういう雰囲気を少しでも取り入れたら表彰式も参加してやるぜという競技者が増えるんじゃないかなと思う次第であった。

 そんな陽なオーラがあふれていた会場を後ろ髪をひかれる思いで後にして、KL観光に行くぞということで、MRTを利用してKLセントラル駅へ移動した。MRTは空港とKLIAを結んでいる鉄道で、かなり素早くKLからKLIAまで移動をすることができる交通手段である。車窓から見える景色と、この遠征で初めての東南アジアらしいスコールを経験し、KLセントラル駅にたどり着いた。東京駅にあたる駅であり。ハブ駅らしくたくさんの人の往来があり、KLという都市の活気を自らの肌で感じることができた。

KLセントラル駅

 遅い昼ご飯ということで、KLセントラルに隣接しているショッピングモールのフードコートでマレーシア名物の一つのカリーミーを注文。フードコートの食事のレベルだからなのかはわからないが、うーん、カレーはおいしいけどなあという感じでちょっといまいちだった。一緒に頼んだフレッシュココナツはとてもさっぱりしていて飲みやすく、おいしかった。

 この後はたかしの要望でマレーシアの文化や歴史に触れたい!ということでマレーシアの国立博物館と国立モスクにいくことへ。さあ博物館へ行くぞ、という矢先、体調に異変が生じる。

 やたら発汗がすごいし、頭が痛いし、何なら気分も悪いぞ…と。せっかくの旅行に来たのだから見て回りたいけど、これは続行不可能だというレベルで体調が悪く、明らかに熱中症の症状だなと自覚があった。見て回りたい気持ちがありながら、無念の離脱を2人に告げて、1人KLセントラルからGrabでタクシーを拾い、プトラジャヤのホテルへ緊急帰還をした。帰りの車内も本当に気持ちが悪くて、吐き気を抑えながらなんとか嘔吐を社内では我慢してたどり着くことができた。ホテルの部屋に戻ったら、出すものを出し切ってしまい、すっかり参って泥のように眠った。

 起きたら時刻は20時を回っていた。おおよそ4時間程度寝て、だいぶ体調は復調したようだった。そのうち、KL観光をしてきたさいとうがホテルに帰ってきて、食事がまだということで、近くにあるフードトラックが集まっている広場に歩いていくことにした。広場は20時過ぎというのにも関わらず、たくさんの客が集まって、盛り上がっていた。バンドの生演奏もしていて、陽気な雰囲気でいっぱいだった。もちろん、酒は売っていなかった。

 「TAKOYAKI」という文字にひかれながらそんなに腹が減ってないということで、結局トラックでご飯を買うことはなく、近くの絶対使わんだろと思っていたマクドナルドにIN。ビッグマックを食べた。日本とほとんど変わらないビッグマックの味がして、なぜか涙が出てきそうだった。

にぎわうフードトラックが集まる広場

結局マックに行く我々

 夕食調達の散歩中に出会った高台から見たプトラジャヤの夜景はかなり絶景だった。

マレーシアの裁判所

高台から望むプトラジャヤの夜景

 ホテルに戻り、明日の準備をこなして健康的な時間にこの日も就寝した。明日こそはオリエンテーリングでいい思いをして、酒を飲みたいと願いながら。


2023年11月19日 マレーシア遠征Day3 海外大会初入賞と念願の飲酒

 この日も7時くらいに起床し、昨日と同じようにビュッフェで朝食をとった。3日目の今日はミドル形式のオリエンテーリングでウイニングタイムは30分とされているが、事前の情報から地図の縮尺は1/5000となっていたので、ほぼパークO形式のオリエンテーリングになるのではと想定していた。今日は残念ながら、WREの大会ではなく、WRE目当てで来ていたと思しき香港勢がいなくなっており、リベンジの機会が失われてしまった。ただ、流浪のベルギーオリエンティアは参加していたので、ベルギーオリエンティアに勝つぞ!という目標に戦うことを決めた。

 この日の会場はプトラジャヤの植物園で、タクシーでホテルから10分ほどの場所に位置していた。タクシーで会場に乗り込むと、昨日と同じように設けられたゲートやパネル類が主張をしている素晴らしい雰囲気のイベント会場と仕立てられていた。今日の自分はトップスタートから2番目というスタート順。昨日、柵を突っ切る競技者を見て心を掻き立てられたのを思えば、トップスタートに近いのはまあいいことか、と前向きにとらえることにした。

会場の植物園

 自分の出走時間は10時01分だったのだが、10時を過ぎてもトップの選手がスタートを切らない。何かしらのトラブルが起きていたのか、トップスタートの選手は結局10時から3分ほど過ぎた時間にスタートを切らされていた。なるほど、そのためのパンチングスタートなのか……。

2日目のコース

 スタートを切り、2番コントロールの手前でトップスタートの選手を抜いて、一人旅となった。そしてその2番コントロールに到達して、SIをステーションに差し込んで違和感を感じた。差し込んですぐに脱出しようとしたら、ステーションが反応せず、脱出ができなかったのである。嫌な予感がした。1秒ほど差し込んでいるとステーションが反応をした。

 3番、4番、と同じ現象が続いて確信した。これは、トップスタートの前にSIのステーションを起動してない!ということに……。日本でこれやらかしたら提訴されそう。レース中なのでこれはもうどうしようもない。各コントロール、自分がステーションをアクティベートしながら回っていった。

 コースやテレイン自体は非常に明快な技術的にも易しいパークOであったので、1か所地図に記載がない湿地にはまり動揺してミスしたこと以外は大きなミスもなく回ることができた。結果ウイニングが30分のところ、21分でのゴールとなった。うーん、ウイニングがざる!

 さいとうには勝ちてえ!と内心思っていたが、結果は約30秒ほどの差での敗北。全部で20コントロールあったので、そのうち19コントロールは自分がアクティベートしたことを考えると、その差ではないかと思わなくもないが、郷に入れば郷に従え、トップスタート付近をひいてしまった自分の負けということで、(無理やり)自分を納得させた。

 速報サイト上で結果を確認してみると、今日は30秒ほどの差で流浪のベルギーオリエンティアには辛勝できたようである。ほかに速そうな選手もそんなにいないし、入賞したかなということは速報で確認していた。初めての海外大会での表彰である。ほかに強い選手が出てたらという話ではあるが、出たもん勝ち、勝ったもん勝ち、表彰されたらなんでもうれしいんだなと改めて実感した。やっぱり表彰大事!!

 12時半からの表彰式、この日は昨日はトップ3のみの表彰だったのだが、この日はトップ5の表彰だった。5位になっていたたかしはびっくりの表彰対象に。本人もやっぱり表彰されるのはうれしいですねと話していた。表彰大事!!

 2位のところでFromニッポンジャパン!と自分の名前がコールされて、偉そうな方から木製のトロフィーの授与があった。日本国旗を思いつきで持ってきていたが、それが日の目を見てよかった。国際大会に出るときはとりあえず日本国旗を持っていくことをお勧めしたい。

表彰された

 優勝のさいとうもトロフィーと副賞を受け取り、入賞した3人で記念撮影。旅のいい思い出になったレースだった。さいとうのことはこれからマレーシアのチャンプということで、ぜひ「チャンプさいとう」とみんなで呼んであげてほしい。

表彰された日本人3人
チャンプさいとうと皆でこれから呼んでいきましょう

 特に自分はオリエンテーリングが速いつもりはないが、シンガポールや台湾の選手たちから最高に速いね!さすがだな!!」みたいなコメントを数々もらうので自己肯定感が爆上がりする。謙虚さを忘れずにいたい。

 いろいろと会場で写真を撮ってきたが、撮っといて一番よかったなと感じるのは日本人の参加者4人で取っておいた集合写真である。オリエンテーリングを通じて異国の地でも共通の仲間を日本人のコミュニティ内でも、そして全く見ず知らずの海外の選手ともとることができる。オリエンテーリングで広がる仲間の輪。マイナースポーツだからこそできる強固なつながりは日本だけでなく、アジアでも通じると実感した。

日本人選手集合写真 in Malaysia

 会場では来年の全日本スプリントに参加するぜ!という台湾や香港の選手とも会話した。自分は参加者のつもりで申し込みをしており、運営の実情をよく知らないが、「マレーシア以上にスペクタクルで最高にクールなコースを用意しているから楽しみにしていてくれ!」と大風呂敷を広げてきたのでぜひ運営の皆さんはアジアに誇れるイベントを作ってほしいと思う。自分が嘘つきにならないために…。(他力本願)

 素晴らしい表彰式を体験して、オリエンテーリングのイベントはすべて消化しきった。残すは明日の午後の飛行機まで時間を使って観光することだけである。昨日できなかったKL観光を果たす時がやってきた。

 まずはKLに行く前にプトラジャヤの名所であるピンクモスクの見学に。美しいピンク色の花こう岩で作られているこのモスクだが、たくさんの観光客と信者が訪れていた。モスクは短パンでは入ることができないため、ローブをレンタルしてモスクに立ち入った。ローブを身にまとうと、まるで自分がハリーポッターになったような気分だ(違う)

 モスク内に入り、広々とした祈りの空間から天井の美しい模様を眺めると、自然とため息が出てきた。イスラム教は偶像崇拝を禁じているため、日本でいう仏像に対して祈ったりということはないが、自然と祈りをしたくなるような一種の神々しさがモスクには存在していた。少し空気も浄化されているような気がした。日本の寺院のように観光のための案内などは乏しいため、詳しく知りたいという欲求を満たすという点では少し物足りないものがあるかもしれないが、素晴らしい経験をできた。

 一緒に大会に出ていたたかしは一度ホーチミンに戻るということで、ピンクモスクで最後にお別れをし、再びさいとうとの2人旅となった。次の目的地はKLの北部に位置するパドゥ洞窟である。Grabで交通渋滞を乗り越え、観光客らでにぎわっているパドゥ洞窟に到着した。

 パドゥ洞窟はシンガポールのウィラードにも超絶おすすめされていて、すごく期待していた場所だった。結果、その期待は全く外れることがなかった素晴らしい観光地だった。パドゥ洞窟はヒンズー教の聖地であり、数々のヒンズー教の神々が至るところでまつられており、最奥の寺院では聖者のスブラマニアンが祭られている。

パドゥ洞窟入り口

 ヒンズー教の聖地ということもあり、インド系の人の姿が多くみられ、これまで来たマレーシアの各所とはまた違う雰囲気があった。遠目から見えていたカラフルな階段と巨大な神像に目が行く。どういう考えを持てばこのようなカラフルな施設を作ろうと思うのだろうか。目に鮮やかな階段を見て本当に不思議に思った。

カラフルな階段。どういうセンスをしているのだろうか…。

 寺院のあちこちに野生のサルが出没しており、観光客から食料などを奪わんと目を光らせていた。ここが猿の惑星か勘違いをしかねない数のサルがいた。やつら、近くを歩くとすきを見せたら襲ってきそうだ。威嚇されるし。

 急峻な階段を上りきると、石灰質の洞窟が現れた。この雰囲気が本当に素晴らしかった。神聖さを感じる中に祈りの呪文が響き渡り、えも言われぬ雰囲気を醸し出していた。一番奥の聖堂の上には竪穴から空を望むことができ、映画の中に入り込んだような錯覚を覚えた。KL観光に来たらヒンズー教に特に詳しくなくても大変お勧めしたい観光地であった。

雰囲気が素晴らしい。

 もっと見ていたいと思いながらも時間もそんなに早くないので、足早にパドゥ洞窟を抜け出し、次の目的地であるペトロナスツインタワー付近へと向かった。やっぱり高いビルを見ておきたかったのである。ペトロナスツインタワー近くに到着し、まずは近くにあったデカトロンへ。デカトロンの製品は安くて細かい身の回り品を調達するのに最適なのだが、日本人にとってはなじみがなく、こういう機会でもないと行きにくいのが難点である。結局靴下などのランニングの小物類をかなり買い込んでしまった。

デカトロン産トレランシューズ。価格以上にできはいい。

 ツインタワーを拝むためにKLCC公園へ。同じようにツインタワーを撮影せんとたくさんの観光客が集合していた。オイルマネーの強さを感じた観光地だった。

 最後の晩餐ということで、これまでマレーシアで食べてきてなかった中華系の料理を食べよう!ということで地球の歩き方にも乗っている客家飯店という中華料理屋に飛び込んだ。まだ18時過ぎという時間だったのですんなりとはいることができたが、30分後には広大な店内が満席になっていた。その人気ぶりにたがわぬ安定した料理のおいしさ、そして何よりマレーシアに来て初めてのビールである。じめっとしながらも風が吹くとさわやかさが感じられるともとれるぬるい環境下で飲むキンキンに冷えたビールの味は、格別だった。

飲酒最高!!

マレーシアでも中華料理は名物らしい

 食事後はGrabでタクシーを調達し、プトラジャヤへ帰還。あまりにGrabが便利すぎて公共交通機関を使うという脳は完全に失われてしまった。ホテル下のスーパーで茶葉やコーヒーのようなお土産を調達し、明日に迫った帰りのフライトに備えて荷物の整理をして、一日が終わりを告げた。


2023年11月20日マレーシア遠征Day4(月)思いを馳せながらの帰路

この日の朝は少し早起きして、早朝にプトラジャヤを走ることにしていた。マレーシアの日の出は7時過ぎとなっており、日本と比較して少し遅めである。6時半頃のプトラジャヤは夜明け前の濃いオレンジ色をした美しい空になっており、オリエンテーリングをした公園の近くを駆けるだけで気持ちが高ぶった。特に鉄のモスクと称されるチュアンク・ミザン・ザイナル・アビディン・モスクを対岸から眺めた景色は美しく、心に深く刻まれた。美しい都市開発は芸術にも近いんだなあと感じた次第である。

ランニング後はシャワーで汗を流したあと、ホテルで朝食をとり、荷物をまとめつつ最後の観光地であるこれまで眺めてしかいなかったアイアンモスク、チュアンク・ミザン・ザイナル・アビディン・モスクの開場時間である10時まで待った。

モスクの見学時間が近づき、モスクの付近に行くと、モスクの隣のメインストリートの様子が騒がしいことに気が付いた。どうやら、イスラエルのガザ侵攻に対するデモ活動が行われているようだった。日本でのこのガザ侵攻は遠い世界のような出来事として報道されており、あまり日本人がこのイベントを身近な問題としてとらえている人は少ないように思う。マレーシアというイスラム教の国で日本の共産党がやっているような似非反戦デモ(というと怒られるかもしれないが)とは比較にならないレベルの騒々しさと勢いを感じるデモの勢いは、野次馬根性をなくさせてしまうくらいに激しかった。デモには近づかないほうが吉と考え、モスク方面へ逃げるように移動をした。

裁判所の前で大規模な抗議デモが行われていた。

鉄のモスクは、建材の約7割が鋼材でできていることから、鉄のモスクと異名をとるらしい。その名前の通り、モスクに立ち入りあたりを見渡すと、昨日見物したピンクモスクとはまた違った風合いの、少し金属の冷たさを感じる意匠の天井、でも美しさを両立したモスクになっており、昨日とは全く違う空間なのに同じように、まがっていた背中を延ばされるような感覚に陥った。モスクという施設は、そういう作用を与えるのだろうか。空間の作り方が非常に緻密なためなのか。普段触れないイスラム文化に少し触れることができ、少し自分が賢くなった、まあ賢くなるわけがないのだが、そんな気がしたモスク参拝だった。

チュアンク・ミザン・ザイナル・アビディン・モスクの正面入り口

ピンクモスクとまた違う雰囲気があるモスク

その後は、特にトラブル等なく、帰路につき、特筆することもなく無事に羽田空港に帰還することができた。機中での1泊を含めれば4泊5日の長いようであっという間で濃密なマレーシアでの日々を過ごすことができた。

最後の食事のハイナンチキンライス。

悲しみの帰路へ


まとめ やっぱり海外オリエンテーリングはいいぞ!

 今年は世界選手権&スイスO-Week遠征とこのマレーシア遠征の2回、海外でオリエンテーリングをする機会を設けることができた。まだ2回のみの経験だが、もっと海外でオリエンテーリングをしてみたい、というか行くぜ!という気持ちがあふれてきている。来年はとりあえず同じくWOCの遠征(スコットランド)とAsOC(タイ)に行きたいなあ、と内心画策しているので、行くぜ!というオリエンティアがいたら一緒に行きましょう。日本人はもっと香港みたいに外に出ていく意識を持ったほうが良い気がする。

 今回アジアのオリエンティアと話していて思ったのは、アジアのオリエンティア(特に香港)はWREは行きたいぞ、と考えていることである。今年の全日本ミドルロングのEAからも「WREをもっと積極的に開きましょう!」という〆のあいさつがあったが、それはアジアに求められていることなんだなと実感した。海外にも開かれた大会を!と考えていたら積極的に開くことが望ましいのではと感じた。

その他、マレーシアで感じたことを雑駁に列挙

【オリエンテーリング関係】

・東南アジアのオリエンティアの雰囲気最高。めっちゃフレンドリーに話しかけてくれる。

・大会のクオリティは改善の余地があるけど、それも東南アジア!と前向きにとらえれば問題なし →設置ミスがあったり、運営で適当な面があったり……ほか

・香港の選手、やっぱりスプリントは日本のそこそこの選手以上の実力はあるよね

【マレーシア関係】

・Grab便利すぎてやばい、日本も白タク云々言ってる場合じゃなくてライドシェア導入してほしい

・物価は食品や交通費は日本よりはるかに安価だけど、ほかのもの(スポーツ用品類など)は日本とほぼ物価一緒。

・日本人にめっちゃ親身な人が多い

・衛生面はちょっと……なところもあるけど、許容範囲内(あくまでKL・プトラジャヤ)

【さいとう関係】

・インタビューをするとくねくねし始める

・ホテルの部屋ではすぐに靴ぬぐ派

【総評】

・マレーシアとてもよかった!

また機会があればぜひ、マレーシアに遠征してオリエンテーリングをエンジョイしていきたいと感じました。次マレーシアに行く機会があったら、ついでにボルネオ島のほう行ってキナバルに登りたいです。

スペシャルサンクス さいとう






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