地味な日本二百名山、和名倉山にテント泊で出かけた【山行記録】

 NHKで放送していたグレートトラバース2の撮影バイトを、大学生の夏休みの際に受けていた。ちょうどその時は、ヨーキさんが八ヶ岳からの下山中に足をひねり、長期停滞を余儀なくされていた時だった。停滞の結果、ヨーキさんは南アルプスの最難関、鋸岳に登ることになったのは、テレビの放送を見ていた方ならご存じのはずである。(地味に動画に私がうつってたりする)


 その時は山の経験値浅く、鋸岳からの下山では多大な迷惑を撮影隊およびヨーキさんにおかけしてしまったのだが…。まあそれも今となってはいい経験なのだが、(その節はご迷惑をおかけして申し訳ありません…)ヨーキさんが行程変更する前は、元々南アルプス方面ではなく、奥秩父方面にバイトで本来はいくはずだった(そもそも、元々の行程に鋸岳が範囲に入っていたら、バイトを謹んで辞退していたまである)。

 もともと登るはずだったの一座が、奥秩父の最深部というか、非常にアクセスの悪い場所にある標高2034mの埼玉県のみに位置する中で最も標高の高い、和名倉山だった。奥秩父の主脈からは外れた場所にあり、アプローチも良くなく、また山頂は地味で、お世辞にも人気があるとは言えない山だ。でも、日本二百名山に選定されている。

 コロナのこともあり、あまり人の多い山にはいきたくないという思いもあったが、何よりテント泊をしたいと思っていた。いろいろなコースを検討したが、その中でも一番惹かれたのが、奥秩父の和名倉山だった。あの時いけなかった山に、行ってみたい。その好奇心が勝った。

 今年は色々とテント場等にも制約があったり、そもそもやっていなかったりと、問題も多かったが、今回の行程で唯一テント場としてしっかりと整備されている将監峠の将監小屋はテント泊できそうだ、ということで、行程が定まった。二瀬ダムから和名倉山に登り、縦走して一泊目は将監峠でテント泊。二日目で雲取山を登りそのまま石尾根で奥多摩に降りきる、そんな一泊二日で和名倉山とプラスアルファを楽しむ計画となった。

 本来は7月にやろうとしたが、天候不順で見送った。そして有給等の条件が整った8月の3週目に、行程を実行に移すこととした。ソロのテント泊はいつ以来だろうか?

 今回はワンウェイなので、車で移動できない。公共交通で登山口まで行く必要があった。ただ、いかんせん二瀬ダムは遠すぎる。どんなに頑張っても、登山口にたどり着くのは、朝9時半ころとなってしまう。だが、それで行くしかないので、行くこととした。

 816日の日曜日。西武秩父からバスに乗って40分ほどだろうか。秩父湖のバス停に降り立つことができた。12日の小さな冒険の入り口に立つことができた、緊張感と高揚感を味わうことができた。気温はかなり高く、湿度も高い。秩父湖から和名倉山山頂までは、1500mの登りとなるため、うんざりしつつ、歩みをすすめることとした。

二瀬ダムの躯体上を歩く

 秩父湖は、二瀬ダムによってできているダム湖である。二瀬ダムの見事なアーチを横目に見ながら、取りつきへと向かう。秩父湖には、最難関(個人的)な場所が待ち構えている。それは、秩父湖に架かる吊橋を渡るということである。一部特定な条件でとても高いところが苦手な私だが、この吊橋はまさにその条件に合致。怖い。

 だが、ここで引いたら何も残らない。バス停から歩くこと20分程度で吊橋に到達した。

秩父湖に架かる吊橋

 いやいやいや、ちょっと待とうぜ。これめっちゃ高度感あるし揺れるじゃん。帰りたい気持ちを全身に感じとりながらも、冷静に脳の奥からゆーていけるでしょという楽観的な声もする、不協和音。そして、躊躇すること1分。意を決して、吊橋に足を踏み入れた。

 そのあとのことはよく覚えていないが、動画を見返すと、やばいしか言ってなかった。

 手に汗を握る……というよりも記憶がシャットアウトされている吊橋渡りを乗り越えた後に待ち受けていたのは、急登。急登。急登……。和名倉山までの標高差約1500mの登りが待ち受けていることは理解していたが、暑さも相まってものすごくきつい。

急登の始まりを告げる分岐

 15分歩いて、休んでの繰り返しの牛歩。たまらず、シャツを脱いで、アンダーシャツ一枚で歩く。それでも暑い。アンダーシャツになれるのも、人がいない山ならではかも。

 1時間ほど登ると、初めて登山者とすれ違った。少し会話をすると、沢登りをして下山中とのこと。和名倉沢だろうか。ソロで山登りはできるけれども、ソロで沢登りをする勇気は、今の私にはない。 

 標高1000mを越えると、急な登りはひとまず休憩となる。反射板という看板がある地点に到着する。反射板?探してみるが周りには見当たらない。何があったのだろうか。ここからは、少々長めのトラバース道となる。


 トラバース道といえども、道幅は広い。これは、林業をこの付近で行っていた際の軌道後だと事前に調べた中で知ることができていた。確かに、トラバース道のところどころに鉄道の跡が残っている。でも、今ではもう自然の一部と化している。数十年だろうか。そのわずかな時間の中で、文明を飲み込む自然の懐の深さは、何度見ても感嘆する。

 羽虫が多いこと以外は非常に快適なトラバース道だが、数カ所ほど大きく崩落している箇所を横断する必要がある。ただ、踏み後は残っており、問題なく通過できる。

 先ほどの急な登りと比較した際には、天国と勘違いするかのようなトラバース道も、終わりを告げる。造林小屋跡地と立て看板がある箇所からは、再び登りとなる。ここは、本日の旅の中で唯一の水場である。ここで補給できないと、帰宅する羽目になる。

 枯れていたら……という心配を若干していたが、看板から少し登山道を登ったところにある沢には、しっかりとした水量をたたえた小川が流れており、歓喜の雄たけびを上げた。「やった、水だ。神の水だ」

 暑さと登りで、2l用意していた水は残すところ500mlとなっており、ここでしっかりと水を補給できることができ、今日の旅を最後までこなせる未来が開けた。火照った体は、小川の冷たい水で冷やし、気持ちも体もリフレッシュすることができた。

 水場からは、再びの急登である。踏み跡は薄く、そして地面が柔らかく、体を持ち上げることが普段よりも2倍位きつく感じる。荷物は、OMMクラシック32lにまとめて、比較的軽量に仕上げているが、それでも普段のトレランの時の3倍近い重量はあるため、それも影響しているかもしれない。でも、急登に負けてはいけない、この先には、あの時いけなかった山の頂が待っているんだ、その好奇心を原動力に、また一歩と足を進めていく。

 標高1500mを越えると、空気も変わってきて、少し涼しさを感じることができる気がした。植生も少し、背丈の低い常緑の広葉樹が増えてきており、自分が確実に山頂へ近づけている、そのことを実感する。あと少しで、楽しいところかな、少し気持ちも前向きになる。

 過去、和名倉山では多数の遭難事件が発生しているようだ。その原因として指摘されているのが、この標高当たりに植生するスズタケの群生のせいだといわれている。二瀬尾根のスズタケの藪は、私が歩いた2020年夏時点では、枯れており、踏み跡もしっかりとついているため、山歩きになれている方なら、道に迷う可能性はほぼないレベルであった。広い尾根上に点在する、茶色く枯れたスズタケを見ながら、過去の和名倉山の夏に思いを馳せた。

山頂手前のコケの森

 「これは…すごい」

 標高1800m付近になると、植生の様子は一変した。シラビソが立ち並び、踏み跡以外は一面のコケによる緑のじゅうたんが敷き詰められた、ここまで歩いてきた登山客しか見ることのかなわない、神秘的な森が私を迎え入れてくれた。

 植生の様子はさながら北八ヶ岳の双子池付近なのだが、人の少なさ、そして人工的な手入れが一切されていない森の姿は、北八ヶ岳の森と比較した際に、神秘という点で優っているのかもしれない。大きく息を吸い、吐き出すと、都会で汚れた空気にまみれた自分の肺が表れているような錯覚に陥る。肺はきれいにならなくても、心は間違いなく洗われている。


 胸躍る光景にどっぷり浸かり、時間を忘れかけたが、先に見えた看板で、自分がたどり着いた場所を知った。二瀬分岐である。ここが、稜線と和名倉山への分岐点。和名倉山はもう目と鼻の先の場所である。分岐をまずは、和名倉山方面へ進んだ。

 分岐からすぐの場所にカラマツの幼木の藪漕ぎを強いられる箇所があったが、そこもすぐ終わり、再びうっそうとした樹林帯に突入する。和名倉山の展望は、ない。このうっそうとした樹林帯の中に、ぽっかりとそして山頂の存在感がなく、あらわれる。

 樹林帯から歩いて少し、ようやく見えてきた。「遠かったよ。」紛れもない本音である。

 


 秩父湖から歩くこと4時間弱。和名倉山の山頂に到着した。本来はコースタイムの半分、3時間半程度で登る予定だったが、それよりも遅れての登頂となった。まあ、暑さもあったし、荷物もそこそこ重いし、仕方ないかな、と自分を納得させた。

 初めて登頂した和名倉山の山頂は、本当に何もないのだが、何もなく人がいないというこの状況にとても満足していた。世間から離れた場所に一人だけいるという孤独感と特別さを味わうことの贅沢。ソロの山登りは、これがあるからやめられないんだよなあ、と思う。北アルプスの有名な山なら、一人だけで山に登っているという感覚は、きっと薄い。でも、和名倉山はその感覚が人一倍強いのだ。だから、充実感がある。来てよかったなあ。

行程通りにいかなかった残念さもあったが、これくらいの遅れなら問題ないというゆとりもあったので、次の自分の意識は、今日の宿泊地へと早くも向いていた。宿泊地の将監峠はもう少し尾根を縦走していく必要がある。

分岐まで戻り、次は奥秩父の主脈方面に歩を進める。ここからは、時々姿を見せる奥秩父の山々の遠景が魅力の稜線である。


でも、たまたま今日は曇りがちで遠くまで見通すことは中々できなかった。分岐から歩くこと1時間程度だろうか、東仙波(ひがしせんば)の山頂に立つと、雲に隠されながらも雄々しく広がる奥秩父の山々が一望できた。きっと晴れていたら、もっと遠くまで見通せて、そして空の青と笹原の緑のコントラストが素晴らしいのだろう。でも、今日は地味な山を登り、堪能したのだ。ここで晴れてしまったら、こっちの方がイイじゃん、と印象に残りかねない。だから、これでいいのだ。


西仙波から先は、少々派手な笹薮が待ち構えていた。道は見える程度なので、道迷いするリスクは低いと思うが、足元が全く見えずとても歩きにくい。そして体力を使う。今日一番の我慢を強いられた。オリエンテーリングというよりも、アドベンチャーレースに出場している気分となれる。

手と足をすべて使い笹薮をかき分けること30分、ついに笹薮の丈が低くなり、奥秩父主脈縦走路との合流地点、山の神土まで到着した。大きなため息が漏れだした。マイナールートということで、やはり普段の山行よりも少し、肩の力が入っていたらしい。整備された登山道に出て、ようやく力が抜けたようだった。

山の神土から将監峠まではすぐ到着する。将監峠では明日行く予定の「雲取山」という文字がこの旅で初めて確認することができた。一歩一歩、近づいている。将監峠からまっすぐ将監小屋まで続く道を歩くとすぐに、将監小屋が見えてきた。先客がどうやら1組いるようだが、それ以外は見当たらない。今日は静かな夜となりそうだ。

将監小屋。小屋本体の営業は休業中。

小屋に到着後、テントを張り、就寝する準備を整えた。昼ご飯は行動食しか食べていないため、おなかがすいている。夕食を早めに取り、寝ることにした。今日用意したのは、カップラーメンとアルファ米という鉄板コンビ。一泊二日なら、これで飽きることはない。今日はシーフードラーメンを用意したのだが、今日はトマトジュースを別途もってきていた。トマトジュースを温め、カップラーメンに投入。簡単、トマトシーフードラーメンの完成である。とても簡単にでき、なおかつおいしいのでとてもおススメである。食後は、これも持参したワインをちびちび飲みつつ、スナック菓子を食べる。携帯の電波はもちろん入らない。一人でワインを飲んで、風景を見ながら時間を使う。テント泊の時間の使い方は、普段都会で生活をする私からすると、最高に贅沢だ。何もしない、ただ空を眺めているだけ。そんな時間を過ごせるのは、今だけだからきっとテント泊も楽しいのかもしれない。



食事も晩酌も済ませ、早めに寝袋にくるまった。眠気はすぐに自分を包み込み、夜は更けていったようだ。


二日目。起床時間は朝の3時頃。今日は石尾根経由の奥多摩駅が目標だったが、奥多摩駅の温泉がやっていないことが前日判明したため、温泉に入りたい欲が強く、河辺温泉まで我慢したくないと思った私は、ゴール地点を三峰神社に変更した。西武秩父の祭りの湯に入る計画である。電車とバスの心持の違いは何なんだろうか?

テント等を撤収し終え、4時過ぎに雲取山に向けて出発。雲取山へは約3時間ほどで到着したいと考えていた。もちろん、周囲は真っ暗で。ヘッドランプの明かりに反射する鹿の両目が不気味に時々光っており、「おはようございます。」と大声を連発しながら雲取山へと進んでいく。

少し、森の中が明るくなってきた。その気のゆるみだろうか。足の置き場を誤り、右足の全てが登山道から滑り落ちた。思いっきり膝、カメラを地面にぶつけ、声にならないうめきを続けた。危なかった。これが緩斜面で本当に良かった。死なずに済んだ。

これまで一番山でやば、と思ったのは、グレートトラバースのバイトで登った農鳥岳から奈良田に下る際中、木の根っこに足を引っかけて、体ごと斜面に落ちて2mほど滑落したときだが、それに匹敵するくらい冷や汗が出た。暗い中歩くときは、本当に気を付けないといけない、もう一度気を引き締めた。

ほどなくして、完全に日が昇り、森の中も明るくなった。時折登山道から覗き見える富士山方面の景色が素晴らしい。空も今日は雲が本当に少なく、すがすがしい。雲取山に行けば、どんな素敵な光景が待っているのかな、心が躍るのを感じた。


飛龍山の手前に、禿岩という方面が出ている標識を見つけた。禿岩というのは事前に調べていなく、どんな場所なのかなという好奇心で少し禿岩方面に足を踏み入れた。これが大当たり。禿岩からは、奥秩父の主脈、富士山、南アルプス方面が一望出来、ここまでの旅程の中で最も開けたダイナミックな景色を堪能できた。ここは、ぜひ立ち寄ってほしいスポットであった。

禿岩から甲武信ヶ岳方面をのぞむ


もくもくと雲取山方面に進んでいく。時々ある木橋にビビりながらも、素晴らしい天気と森の雰囲気が自分の歩みを確実なものにしてくれた。狼平を越え、三条の湯との分岐点で今日初めての登山客と出会った。ふと思い返すと、これまですれ違った人は、テント場であった1組を含めて、わずか5名。なんて贅沢な時間なのだろうか。感動していた。


雲取山への最後の登り返しもそつなくこなし、見慣れた雲取山の避難小屋が目の前に現れた。時間も7時半と、コースタイムの半分程度でたどり着くことができた。人気高い雲取山も、このタイミングで登っている人は0人。誰もいない雲取山の新鮮さを満喫する。いつもこんなんだったら、いいのになあ。ゆったりとした登山、人の目が気にならない登山。最近はコロナのせいで登山客が増えて山岳遭難が増えていると、最近の山梨日日新聞に書いてあった。人気の山はごった返してしまうのだろう。

避難小屋からの石尾根方面

雲取山山頂での一枚

雲取山で大休憩をして、靴も靴下も汗が乾いたころ合いを見計らって、秩父への下山を開始した。雲取山から三峰神社までは約10㎞の行程となっている。秩父方面から雲取山に登ったことはこれまでにないため、これが初めての立ち入りである。

森の雰囲気は、とても明るく気持ちも明るくなるような登山道だった。ただ、とても暑い。心地よい風が吹かず、我慢の下山となった。

途中の白岩山。ここから見えるのは、和名倉山の全景である。和名倉山の山頂を起点に大きく太く根を下ろすように伸びるりりしい尾根たち。その存在感は、群を抜いて巨大だった。どうして和名倉山が日本二百名山に選定されているのか。マイナーなのにな、と思っていたが、その理由というのが、分かったような気がした瞬間だった。

白岩山(白岩小屋跡)からの和名倉山

白岩山を下り、スピードを上げて、三峰神社に向かっていく。頭の中は早く降りて温泉に入りたいという一心になっていた。吹き出る汗の量は多いが、気にせず歩み、霧藻ヶ峰を越え、あっという間に三峰神社に降り立つこととなった。下山時刻は午前11時半。二日目の行動時間は約8時間となった。

バスを待ち、西武秩父行きのバスに乗り込んだ。この日は平日だったが、バスの座席はほぼ満員。昨日風呂に入っていないというアレから、座席には座らず、隅っこの方で我慢すること1時間。待望の風呂に入ることができた。風呂、それは疲れを溶かすユートピア。2日の登山を振り返りながら、風呂に浸かる瞬間は、最高という言葉以外の何物でもない。今回も無事、山から下りられたことに感謝した。

好奇心を大事に、今回のコースを選んだ結果、とても素晴らしい山歩きをすることができた。今後も、このような好奇心が勝るような、山歩きをしていきたいものである。和名倉山は、とにかく体力が必要だが、人の俗性につかれた際は、心を洗うことができる聖地なのかもしれない。


なるべく、これからも記憶に残る旅についてはこうして文章と動画に残して振り替えられるようにしていきたい。人生、表現することで初めて人に自らの体験をだれでもが「わかる形」にて共有することができるのだ。私は、そう思っている。

和名倉山。今度は違う時期に。


↑初日の動画 ↓二日目の動画


おしまい


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